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Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

ビジネス・社会・ニセ科学

*お名前の表記に誤りがあったため、修正しました。申し訳ありませんでした(Oct.22, '16)。

こんなエントリを書いたら、言及先の木村スライムすらいむさんからリアクションめいたものがあった。「疑似科学はどうして批判されるのか?」ネット上の反応から見えた3つの理由と云う記事。 いろいろ考えていたらちょっとまとまらなくなったけど、とりあえずお返事として。以下、この方の用語である「疑似科学」と、ぼく(たち)がここで使ってきた用語である「ニセ科学」がちょっと入り混じりますが、どちらもニセ科学批判wikiにあるニセ科学とはにある定義に準じて使っています。

 

記事の冒頭にぼくのエントリへのリンクなんかがあって(MechaAGさん、と云う方のエントリへのリンクと並んで。この方、メカAGさんかな? 懐かしいかも)、それからその3つの理由と云うのが並べられていて。まぁここに並んでいるのはわりとよく云われてきた、ぼくも云ってきたようななんだけど、それに続いて、

「嘘をつくな」「科学の信頼を損ねるな」「最悪死ぬ可能性がある」

僕はこの中で、一番最後の理由づけに共感します。

とあって。このへんから、疑似科学に対する批判は批判ありきのものであって、疑似科学であることは単なるその理由づけである、とこの方が考えていることが伺えて、そこから言説の動機が透けて見えるようで興味深いのだけれど、そのすぐ後に、

不正を咎めるような立場でないにもかかわらず、不正を許さずに弾圧しようとする人が基本的に好きではありません。それで誰が幸せになるのでしょうか。法的な問題ならば、しかるべき権力で解決してほしいものです。

とある。 文脈つながってないよ! 看板に偽りありだよ! ってのは置いておくとして。まぁこの後の引用部分のほうが云いたかったこと、なんだろうなぁ。 でも、不正を咎めるような立場にあるひと、ってのはだれなんだろう。ここで論じられているのは疑似科学ニセ科学)なので、文脈にのっとれば科学をなりわいにするひとたち(科学者)ってことになるんだろうか。まぁニセ科学を批判する科学者はいるよね。そのひとたちはこの方にとっては問題なし、ってことなのかも。

この種の批判は昔からあって。「科学者でもないのにニセ科学の批判をするな!」ってやつ。でもニセ科学の問題はわれわれ科学者にあらざる衆生にも影響をおよぼすものなので、放っておくべき、って話にはならないんだよね(ついでに云うとこう云うことを云うひとは往々にして同じ口で「科学者ならニセ科学の批判なんかしてないで自分の研究をしてろ」みたいなことを云うので、批判の本当の意図が別の場所にあることが見えてしまうケースが散見される)。

それとも、そのあとで法的な問題ならば、しかるべき権力で解決してほしいものです。ってあるから、警察とか法曹、って話なのかな(ホメオパシーを批判した日本学術会議は、ここで云う権力にあたるのかな)。つまるところ、「どの法律の何条にニセ科学はだめ、って書いてあるんだ!」ってことなのだろうか。これについては、法律ってのはそう云うもんじゃないよ、って話になるのだけれど。

それで誰が幸せになるのでしょうか。って、レメディに科学的な根拠があると信じて健康を害するより、ちゃんとした医療を受けるほうが一般的には幸せになれると思うけどね。このってのを「ニセ科学で商売をするひと」って読み替えていいなら、この言説に文脈は通るけれど。

死人が出ることを防ぐ、人を守るために不正を咎めるのは、良い姿勢だと思います。もちろん、嘘をつく人を減らすことでも、科学の信頼を損ねる人を減らすでも人は守れるでしょうが、あまり直接的ではありません。人を攻撃する力は、人のために使いたいですね。

この一連のセンテンスだけでも、文脈つながってないよ! あまり直接的ではないからすべきではない、って話にはならないので、ここのところは語尾をあいまいにされているんだろうなぁ、って推測はできるけれど。人を攻撃する力は、人のために使いたいですね。と云う一文にあるって云うのを前記の同様に「ニセ科学で商売をするひと」の謂だって読み取れば文脈は通るけれども、そう読んでいいのかな(全体にそう云うことをさとられないように、文脈の読み取りづらいもごもごした文章にしてあるのかな、と云う気もするけど)。


文脈と云えば、この方はさきごろホメオパシーに好意的に言及した記事をものしてちょっと話題になったイケダハヤト氏の関係者でいらっしゃるようで、そうするとなぜこの方がこんな主張をするのか、と云う面で文脈の通る動機を見いだすこともできる。それが合っているかどうかは別にして、そう云う意味合いを含みうる内容の主張であることは確かで。

イケダハヤト氏とホメオパシーに関しては、佐藤正一さんがイケダハヤトさんとホメオパシー そんなにおかしい話ですか?と云う記事を書いている。この佐藤正一さんと云う方は複業診断士と云ういかにも優良誤認を誘うことを目的としたような職名を自称していて、Talent Codeって云う一種の数秘術的なオカルトを商材にされている様子。でまぁリンクしたエントリは早い話「儲かるビジネスをしてなにが悪い」って内容。実際、エセ科学的=エビデンスのないものもたくさんある。だから、色んな視点で書かれた本を読み、Youtubeなどでさらに内容をリサーチしてから、根拠がないかどうか 怪しいかどうか エセなのかどうかを自分で判断すればいい。ってのは、手短に云えば「騙されるのも自己責任」って意味なのだろう。

奪ったものが勝ち、的なゼロサム的なビジネスは、例えばディール的な金融業をはじめとしてさまざまあって。そこにある行動原理はほとんどサイコパス的なものだったりするのだけど(原理的に資本主義における企業と云うものはサイコパス的な存在だ)、社会全体がプラスサムに向かって動いている、と云う前提を背景として、なんとなく存在が許されたりしている。

でもビジネスに向かうにあたって、そう云う価値観を内面化してしまうひともいたりする。ビジネスに対してだけはサイコパスとなってもいい、みたいな倫理観を持ってしまうわけですね(ちなみにその倫理観をビジネス以外にも敷衍すると、典型的に藤沢数希氏の「恋愛工学」みたいな、異性を株券視するような発想が生まれる。金融倫理の内面化)。 もし木村スライムすらいむさんの主張の背景にあるのが、佐藤正一さんのエントリにあるようなことだったとしたら、すこし考えてみてもらえるとありがたい。ニセ科学を背景にしたビジネスは、ぼくら全員が暮らしている社会において、宿主の健康に害を及ぼす寄生虫のようなものですよ、ってことを。


ところで、前のエントリも含めて、木村スライムすらいむさんは「ニセ科学を批判するひとの言説に向かうスタンス」と云うものも問題視しているように思う。 ニセ科学に批判的な言説をものす、と云うことは基本的に正しいことだと思っているし、だからぼくもここでそれなりの期間そう云うエントリを書いたりしてきた。でも「内面化」と云う話で云うと、「ニセ科学に対する批判は正義」を内面化してしまう論者もときおり見かけたりするわけで。

  1. ニセ科学への批判は正義
  2. ニセ科学を批判する論者である自分は正義
  3. ニセ科学を批判する自分に対する反論・批判をする論者は不正義

みたいな。 これってやっぱり端的に誤解で、当然ながらある言説の正しさが、その言説を発したひとの「正義」を保証するわけではない。こう云うタイプの論者に対する指摘もぼくはそこそこやっては来たけれど、このあたり、ニセ科学に限らず批判的な議論をおこなう論者は意識しておくべきだとあらためて思う。