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Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

「科学的でない」と云うこと

木村すらいむさんの疑似科学を否定しようとする「科学的」な目線が息苦しいと云う記事を読んだ。

 まぁタイトルが出落ちだよなぁ、みたいには思うのだけれど。

理工系の人・科学を信じている人って、非科学的なものを非科学的であるという理由だけで淘汰しようとすることが多い。

ここのところは木村すらいむさんの書き方におそらく戦術があって、まるで非科学的なものすべて淘汰しようとしているように読めるようにしてある。この文章は水素水と云うニセ科学商品について書かれたものとして始まっていて、非科学的なものすべてについての謂では本来ないはず。まぁこのあたり、文章の技術として飛躍によって故意にミスティカシオンを誘っているのだろうけどね。 水素水をニセ科学であるとして糾弾し、淘汰しようとしている人たちは、それが、

  1. 非科学的であり、かつ、
  2. 科学的な根拠があるかのように装い、購買者の「科学的な根拠がある」と云う誤認を故意に誘うことで拡販を狙う

ものだから、そのような行動なり言説なりを行っているのであって。ひとつめだけではそれは科学の見地からの否定の対象とは一般にならない(宗教は多くの場合、科学的な批判の対象とはされない)。ふたつめを備えていることが、多くの場合批判される理由となる。

けど、なぜ「ウケるw」と笑うのではなく、否定する必要があるのだろうか。

上記のふたつめの要素があるから。なのだけれど、この部分を木村すらいむさんは無視する(ちなみに、「ウケるw」と笑うことには否定的なニュアンスが濃厚にあると思うのだけどどうか)。そうすることで、

その淘汰自体からは、宗教としての科学の側面が見えてくる。

こんな言説につなげることができる。まぁ、持論を展開するうえでの文章上の技巧ですよね。ただまぁ、ここまであからさまだとバレバレ、ってかまるでそう云う小手先のテクニックを弄する肚の裡を探ってくださいと云わんばかりだよなぁ、とか思うけれど。 以降の文章は、この「疑似科学は科学を装うものであり、それを信じるひとはそれが『科学的である』と誤認しているから信じている」と云う部分を(おそらくは故意に)無視することで初めて成り立つもので。

擬似科学を信じている人に、いくらそれは「科学的ではない」と論破したところで、何の意味もない。疑似科学を使った商品の販売を止めることはできても、それを買う可能性のある人を減らすことにはつながらない。

この擬似科学を信じている人と云うのが、疑似科学だとわかっていて信じているひとなのか、それともそれが真正の科学に基づくものだと誤認しているのか、と云う部分で、この部分はまったく変わってくる。後者の場合は、それが疑似科学であることを指摘することで、それを買う可能性のある人を減らすことに充分つながる可能性はあるだろう。 もちろん、そこを明らかにすると論旨に破綻をきたすので、ここではあいまいにされている。

そもそも擬似科学という切り取り方自体が、圧倒的に「科学」の側からのものの見方。

あたりまえじゃん。科学を装っているものを、「科学」の側からのものの見方で評価するののなにがおかしいんだ。

商品を買う人は効果を信じて買っているのだから(効果がないと思って買う人はいない)、本人は似非科学だと思っていない。

そう、本人は似非科学だと思っていないから問題なんじゃん。科学的だと思い込ませている、ようは科学としての意味合いでは明白に騙しているわけだから問題なのであって。

どうして「科学的であること」があたかも絶対であるかのように思われているのだろう?

見飽きた飛躍ではあるけれど。 「科学的であること」を標榜するものが科学的でなかったら、それは嘘でしょ? 嘘で消費を誘うのは、詐欺でしょ? そんなもの絶対であるとかないとかって議論じゃないわけでさ。

科学はそれだけでは「ものを考える基礎」たりえない。ものにどんな意味があるか、正しいか、信頼できるかどうかは、科学だけでは判断できない。

なにをしたり顔してあたりまえのことをのたもうてらっしゃるんだか。それと「科学を装う」ことが生じせしめる諸問題とはまったく別の話。ってか、これはご本人が「ものを考える基礎」とはなんなのか、と云うことをぜんぜん真剣に考えていないから口に出せる言葉だよねぇ。

妖怪とか、オカルトとか、ファンタジーとか、フィクションとか、情緒とか、宗教とか、そういうものが科学的な考え方に押しつぶされないでほしいなと思った。

いけしゃあしゃあとおっしゃっているけれど、この方のような粗雑であからさまに我田引水な議論のほうが、よっぽどそう云うものの生き残っていくエリアを削っていく可能性が高いわけで。 こう云うこども騙しの技巧で逆張りしてアクセスを集めることが、ビジネスになる世の中なのはなんとなく感じてはいて。いまやはてなのトップもこう云った安い文章が並んでいる。 でも、いくら商売のためのポジショントークであっても、もう少し考えようよ。名前を名乗って、表通りで喋ってるのと変わらないんだからさ、最低限のモラルはあってもいいんじゃないかな。

【追記】 それともあれかな。この方のブログタイトルの「文脈をつなぐ」と云うのは、「文脈を弄して読者をごまかして、思うような言説をものす」って意味なんだろうか。だとすれば、この文章はこの方の「芸を見せた」ってことになるのかな。 それはそれで、自分は自分の書くものに対して不誠実だよ、ってのを晒してるみたいなもんだと思うけれど。