ヒーロー
朝日新聞デジタルのカストロ前議長が「お別れ演説」 キューバ共産党大会と云う記事を読んだ。
夭逝したチェとは対照的に、フィデルは90歳になんなんとするまで生き延びた。劇的で英雄的な死と、老いて病を得ての引退。チェの肖像はキューバ国内にあふれているけれど、フィデルのそれはない(自ら禁じたわけなのだけれど)。
まるで、いつまでも若々しい姿を見せつけるスーパーマンと、歳を重ねた姿を闇に隠すバットマンの対比のよう。そう云えば、マッチョな豪胆さと狂気じみたパッション、怜悧な計算ができる頭脳と苦味のあるユーモアのセンス、と云ったあたりで、似ていると云えば似ているかもしれない。
いまやアメリカン・コミックのスーパーヒーローは、善としての存在であるがゆえにつねに「善とはなにか」と云うテーマと向かい合わざるを得ない存在になってしまっている。複数の善がなまなましく対立するストーリイラインも、いまでは一般的だ(そういえばそろそろ、露骨にそのことを主題にしたマーベル映画が公開されるんだっけか)。
善をなそうとするもの同士の対立。それが世界のふつうの姿だ、と云うのをあたりまえに理解するようになったのは、いつからだろう。
あらゆる角度から見て善であるヒーローなどいない。それでも、強大な相手に立ち向かう弱きものたちにとっては、フィデルがヒーローに見えるのはしかたがないのだと思う。それを望んでいるようにいつも見せかけながら、ほんとうはみずから望んだことなどないのだろうけれど。
ともあれ、彼はこれで暗殺を心配せずに眠りにつくことができるようになるのだろう。半世紀以上ぶりに。