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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

フィギュアスケート2014年グランプリファイナル

きのうきょうの話ではないけれど、あらためてロシア女子の層の厚さがえらいことになっている。

ロシア人の愛称文化がなんか好きで。ここでは選手名については好き勝手な呼称を選んでいるので、ロシアの選手が表に何人も出てくるとなんかそれだけで楽しい(まぁ馬鹿みたいだと自分でも思う)。で、今回の大会では怪我してるらしいアデリクを除いた看板が4枚、勢揃いだ。ユーリャ、アーニャ、レーナ、そしてリーザ。

リーザについては去年あんまり見る機会がなかったけれど、そのあいだに多くの女子選手を見舞う「体型の変化」と云う強敵に正面から襲われていたらしい。今季見る彼女はどうやらその強敵の襲撃をまっこうから受け、打ち勝った姿。かつてあったアンバランスさの魅力はすっかりその姿にリニアに馴染んだものになっていて、それでも見ていて失敗しそうに見えないジャンプは健在。なんだか貫禄まで感じさせる。ここが完成なのか、それとももうあと1年か2年でより圧倒的な魅力を確立するのかはわからないし、かつてぼくが(あくまで個人的なバイアスに引きずられて)惹かれていたものがそこから失われているのを嘆くのも、まぁあきらかに不当なのだと思う。

とか書いておいて平気で矛盾するようだけれど、やっぱり(かつて「ミラクル・マオ」が見せてくれたような)「こどもの演技」には魅了されないのであって。レーナの順位に(競技として)なんの異論もないけれど、当面は「この先」を待つ感じ。でもって、ユーリャの歯車の噛み合わなさ加減は、どうにもなんか(見た目にはまだわからないけれど)リーザが下したばかりの仇敵が近寄ってきている、ってことなのかも、みたいに思ったり。

理華ちゃん、よく戦いました。彼女の美質はまだどれも萌芽の段階にあるように見えるし、だから今大会はお披露目、でいいんだと思う(「出場」の実績だけでも、今後の高得点へのステップになる。じっさいのところ、フィギュアスケートはそう云う競技)。とりあえず次は「よく戦う」ことが意味を成さない、全日本選手権

町田樹、と云う選手のことを、なんだか自分のなかでしっくりと収めかねていて。あきらかにすごい演技を見ても、なぜだかそこに感慨が生じない。このへんなんか(たいてい)いっしょに見ているつれあいにも不思議がられていたんだけれど、今大会の演技を見て、そこがちょっと自分でわかった気がする。町田くんの演技は、ぼくの「想像を超えない」のだ。

なんて書くと、なんだか彼の選手としての能力の限界が低い、みたいに書いているように読めちゃうだろうけれど、そう云うことじゃなくて。そもそも彼の演技は、おそらく彼自身の想像を超えていない。と云うか、おのれの演技が自分の意図を超えて観衆に届いてしまうような、そう云う甘い統御を、彼は試合でしていない。

表現したいことを把握し、自分の肉体にそれを要求する。偶発的な要素を排除し、からだの動きをそのプログラムに自分が求めるものに可能な限り従属させる。もちろんどの選手もやっていることだろうけれど、そこに例えばしみ出す内面や制御を離れた肉体の躍動を、彼は許容したくないのだろう。みたいに考えると、こんなにわかりやすい選手はいない。なにかと揶揄されがちな(ぼくもしがちだけど)彼の発することばも、そこにはなんの仕掛けもなくて、まっすぐに自分の演技に求めるものが表現されたものだ、と捉えればいいわけだ。そこにはなにかしらの、神秘性、みたいなものはないし、そう云った意味で町田くんはたしかに「アーティスト」なんだろうな、と思う。

そうなると、彼にとっての今大会での敗北は、順位ではなくて素直に「作品が完成しなかったこと」なのだろう。そんな選手がいて悪い、なんてことはもちろんない(かつてのジョニーなんかも、近い位置にいたのかもしれない)。ただまぁ、次は全日本選手権、なのだけれど。

クァッド・サルコウトリプルアクセルからのイーグル。全開の羽生結弦の演技はこれほどまでに痛快なのだ、とあらためて感じる。勝つために戦うのには違いないけれど、その戦いの価値は結果ではなくて「勝つために戦ったこと」、そのために必要なものを揃えられたこと。順境だろうと、逆境だろうと。やっぱり妙な選手だ。

それはそれとして、てへぺろはやめろ野郎っこ。なごませてどうする。

ハビのなんだかぬけぬけとした天才肌っぷりに、無良くんのあいかわらずの漢っぷり。2世代競演でそれぞれの個性を見せたロシア男子。それに、ひどくあったかいバルセロナの観衆。やけに氷がやわらかそうなのが気になったけれど、好試合だったと思いました。