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Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

ビジネスの本義

よしなしごと

八戸大学公式サイトに掲載されている奥入瀬渓流マイナスイオンMAP研究~リフレッシュ効果測定~と云う記事を読んだ(ついでに学科紹介のトップページも見た)。

マイナスイオンというのは、空気中に含まれるごく微量のマイナスの電気を帯びた物質で、マイナスイオンが多い環境では、爽快感を感じたりリラックスしたりすると言われています。

言われていますじゃないでしょ。小学校の夏休み自由研究じゃないんだから。 まぁ中身についてはapjさんが高大連携でマイナスイオン:八戸大学と云う記事で書いていらして。科学的な問題点をていねいに、最初から網羅的にお書きなので、まぁこのへんは復習として読むといいかも(某氏が長年スクワッティングしている某Yahoo!掲示板でどんなことを書いているのか見に行っちゃった。予測した内容そのままだったので後悔したけど、これは見に行ったぼくが悪い)。 でまぁ、科学的な問題点、以外の部分。

マイナスイオンは、インチキ商売のネタになったというイメージもそれなりに定着してしまっている。観光や地域おこしのネタとして適切とはいえないのではないか。うさんくさいものを敢えてネタにするというのは、ビジネス学部のテーマ設定としては妥当なのか。

このへんの話。
八戸大学、と云う大学は知らなかったんだけど、サイトを見てみたらビジネス学部と人間健康学部、と云うので構成されているらしい。ほかのところの情報も併せてみると、どうやらスポーツに力を入れている大学みたいだ。スポーツとビジネス。

スポーツも、ビジネスも、根源的には結果しか問われない、と云う共通点がある。どちらもルールとか法規とか云う枠があるなかで、いちばんうまくやったものの勝ち。結果次第で笑うひとと泣くひとが出るけれど、原則として泣く側になったひとはなにひとつもらえない。Winner takes all. もちろんそれだけじゃ強くて悪知恵の廻る卑怯者ばかりいい目をみる、と云う結果にしかならないので、企業の社会的使命だの選手のフェアプレイ精神だのが取り沙汰されるけれど、そもそもそんなものは一文にもならない余計な部分。殺伐とした話だけどそれが現実。現実だからと云って放置しておくとひどいことになるので、そのへんは法規なりルールなりに一定の割合でまぎれこませてあったりもするけれど、でもそのへんは脇道以外ではなくて。正々堂々とやった結果が事業の失敗やチームの敗北だったら、当然それは非難される種類の話になる。

でまぁ、八戸大学のビジネス学部が「ビジネスのためにひとをだましたり、ニセ科学を利用したりしてはいけない」的なことを教えているのか、と云うと、そこのところはわからない。わからないけど、ビジネスを教えている場所である以上、まず本来そこの部分は優先順位が低い話なのだ、と云うのは前提に置いておいて考えないといけないのだろうな、みたいにも思う。教える側、教わる側に、どんなひとたちが集まっている大学なのかは知らないけれど。
このへん、前のエントリに書いたようなことともかかわってくるのかも。

そのへんの、さまざまな留保をとっぱずした状況でビジネスと云うものがもつ本来の性格が、たとえば被災地支援と絡むとどんなことになるのか、と云う話についてはこっちで書いたりした。こっちで書いたいわき湯本のホタルプロジェクトに関する話もまぁ同種で。これらは震災、と云うものによってもたらされた切羽詰まった状況においての話ではあるけれど、じっさいのところはありとあらゆるビジネスが常時切羽詰まっていて、ぎりぎりの線で社会との、そしてモラルとの軋轢のなかで成立しているのだ。

で、「ビジネスを教える」と云うことがスポーツの試合的な意味での「勝ち方を教える」と云うものとして把握されているとすれば。そこにはたとえば、「ニセ科学を教える」「ニセ科学に基づいてビジネスを組み立てる」と云うことへの問題意識は一義的には生じえない。こちらでも書いたように、ある種のビジネス領域では他者の身体から肉をそぎ落とし、生き血を絞って株主に分け与える行為は称賛される。スポーツ選手は、相手の選手を涙にくれさせることによって賛美と栄誉を得る。当然のことだ。

八戸大学と云うところがどう云う学校なのかは知らないし、どんなスタンスでの教育をおこなっているのかも知らない(まぁ私立大学の経営と云うのもビジネスであるし、ビジネスとして顧客の要望に応える、となると顧客のニーズのありかについての議論になってくると思うけれども)。でもたとえば国公立大学にも、ビジネスの名のもとにニセ科学に接近することに抵抗を持たない教育をおこなっているところは実在する。こちらで書いたのは、公立大学である宮城大学の事業構想学部での事例だった。ビジネス、と云うものの持つこう云う側面のあやうさ、と云うのは、本来は教育の場ではもっとつよく意識されないとまずいんじゃないかなぁ、みたいに思ったりもする。