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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

Not Restrained (Plaisin' SCANDAL)

カメラマン・ライターの矢沢隆則さんの、ガールズバンド「SCANDAL」のベストアルバムはライブを意識した一枚と云う記事を読んだ。ちょうど昨日、こちらのコンピレーションが発売されたばっかり。

SCANDAL SHOW(初回生産限定盤)(DVD付)

SCANDAL SHOW(初回生産限定盤)(DVD付)

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: ERJ
  • 発売日: 2012/03/07
  • メディア: CD
 
実際の会場に足を運んでみると分かるが、まず驚くのは客層の幅広さだ。「SCANDAL」に憧れる中高生から20代の男女が中心なのはもちろんだが、アニメの主題歌を歌う機会が多いためか、外国人の姿も少なく無い。また、約20年前のバンドブームの洗礼を受けた40歳前後の層が多いのも大きな特徴だ。

まぁおいらもその40歳前後の層には入るわけだけれど(バンドブームの洗礼を受けたと云うのはちょっと違うかな。おいらは宮田和弥のひとつ下なので、ロック小僧としては同世代)。

この憧れや拘りと言うのは同時にプレーヤーとして“呪縛”でもある。スキルが身についていない中高生のうちから、方向性の違いなどという理由で解散してしまうバンドが多いのは、幼いながらもこの呪縛に囚われているためだ。

ところが「SCANDAL」にはそれが無かった。ロックに対する先入観が何もないまま、メンバー4人が同じタイミングで楽器を始め、バンド内で切磋琢磨することにより、自分たちのスタイルだけを追求し続けた。一頃は言われるがまま楽器を始めたことや、アイドル視されることにコンプレックスを感じた時期もあったようだが、今はそれらも自分たちの持ち味として受け入れているようだ。そして、迷いがなくなった彼女たちは、ライブを中心に幅広い世代を取り込むようになって行く。中でも前述した40歳前後のバンドブーム世代には特別な感慨を与えている。

なぜなら、「SCANDAL」のライブには「ロックに対して無垢な彼女たちが、新たなロックを生んでいる」という事実があるからだ。そして、その事実は、拘りを持ってロックに対峙してきたバンドブーム世代特有の既成概念を、心地よいほど一瞬にして塗り替えてしまう。

ぼくはこっちのエントリで、もはやロックがロックであることそれ自体が持っていた意義の命脈は尽き、逆にそれゆえにアノニムな音楽的イディオムとしての生命を得た、と書いた。つまるところスタイルとしての「ロック」と音楽表現のいち形態としてのロックはもはや一体のものではなく、ある程度の紐帯を維持したまま切り離されて、それぞれにある程度普遍化された、と云うのがぼくのいまの把握(ロック的なアティテュードをつよく感じさせる音楽は、いまやすでに大半はロック、と云う形態を選んでいない)。この普遍性の獲得は一面陳腐化、と呼ばれるような事柄なのかもしれないけど。

そして彼女たちは、自分たちの音楽的スタイルがロックをオリジンにしていることを理解しつつも、そして自分たちがバンドであることを強烈に意識しつつも、けして「ロックバンド」たろうとはしていない(もちろんそこまでにいろいろな逡巡はあったようだけれど、今はもうすでに)。

なぜなら、「SCANDAL」のライブには「ロックに対して無垢な彼女たちが、新たなロックを生んでいる」という事実があるからだ。そして、その事実は、拘りを持ってロックに対峙してきたバンドブーム世代特有の既成概念を、心地よいほど一瞬にして塗り替えてしまう。

ロックと云う音楽の表現形式を選ぶことと、ロックと云うアティテュードを取ることは違う。逆に云うと、良質のロックを奏でることに、ロック的なクリシェに束縛される必要はない。逆にいまや、そのような軛を後生大事に抱えることそのものがロック的なアティテュードからは遠いものとなっている、と感じる。
要はある意味、ロックに縛られない彼女たちのスタンスが、巧まざるポップな批評性を伴って、つよくロックを感じさせているのだ、と思う。 Yeah. So, Let's Go.

# ちなみにおいらみたいなアマチュアバンド崩れのおっさんどもが惹きつけられるのは、かつて若いころに抱いた「こんなバンドがいたらお近づきになりたいよなぁ」みたいな情けない妄想に彼女たちがひどく合致するからなんじゃないか、と思うが如何か。

# その昔、ちゃんと演奏している美人ばかりのロックバンドって云えば、ZELDAみたいなちょっとおっかないのが多かったような気もするし。