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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

資質と矜持

浅田真央のエッセイが発売中止になったらしい(スポーツ報知の真央「私の思いと異なる」初エッセー予約10万部超も発売中止と云う記事がちょっと詳しいのでリンク)。

 どうも「おかあさんの死を乗り越えて」的な部分を強調した出版元のポプラ社の販促が、エッセイの趣旨とそぐわない、みたいなのが理由みたい。
なんか、すごくわかる気がする。

そんなにいらっしゃるとは思わないけれど、ここでぼくが書くフィギュアスケート関連のエントリを継続してお読みの方は、たぶんぼくが真央のことをあんまりほめない、と云う印象をお持ちではないかと思う。これはまぁ、ぼくの観戦者としてのバイアス、と云うかひらたく云うと個人的な好みから来るもので。

でも、アスリートとして彼女のことを見た場合にどう思っているか、と云うと、ちょっと違う。
凄まじい克己心と集中力、セルフコントロール能力。運動選手として、浅田真央はこの面で(フィギュアスケートのトップ選手の中でも、比肩するのがレイチェルくらいしか思いつかないくらいに)飛び抜けている。で、報道を見るかぎり、刊行予定のエッセイはそこに焦点をあわせて書かれたもの、のように思える。

ここからは想像でしかないけれど。
そんな彼女がグランプリファイナルを欠場した、と云うのは当然それだけショックだった、と云うことでもあろうし、無理はない、と思う。ただ、その彼女の選択を、彼女自身はけして肯定的に捉えてはいないだろうな、とも思う。私的なことは私的なこと、それは必要以上に氷の上に持ち込まない、と云うのが基本的な彼女のスタンスのように、ぼくには見える。
それをあまりに自然にこなすので、それを徹底できるのがどれだけすごいことなのか、あらためて考える機会はなかなかぼくたち観戦者には与えられないけれど(そしてそのことを、ともすればつまらない、みたいに感じてしまったりもする、歪んだ観戦者もたぶん存在する。少なくともここにひとり)。

ハートの強さは、どんな競技者にとっても重要な美質だ。そこに存分のプライドを抱いてもいいくらいに。そして、それは日頃の実践と競技上の結果で示してはじめて、誇りうるものに、甘んじて賞賛を受け入れるべきものになる。私的な事情を斟酌したうえでの安易な賞賛は、そこではたぶん夾雑物でしかない。母親の死を乗り越えてみごとに、なんて褒め言葉は欲しくない、みたいな心境はわかるように思う(スポニチアネックスのこんな記事とか、どうよ。真央は亡き母にささげるなんて云ってないんじゃないか。誰にささげようと、全日本優勝の価値は増えも減りもしない。もちろんそれを成し遂げたメンタルの強さに、賞賛を吝しむつもりはないけれど)。

まぁ結局、浅田真央がそのエッセイでなにを書きたかったのか、と云う話なんだと思うんだけどね。
ついでに憎まれ口を叩くと。真央のエッセイとか、みなさんそんなに読みたいのかなぁ(いやぼくは、えぇと、読みたいかも。ずれた方向の関心かもしれないけど)。