Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

議論の誘導

# 読みづらかったのでちょっと記述方法を修正しました。

主張がぶつかりあうと、自分の主張が正しいことを示すために議論になる。これはまぁ自然なこと。 でまぁ、その過程で、相手の主張が正しくないことを示すために、相手の論旨展開を誘導しようとして、さまざまな手法が用いられたりする。どんな手法が使われるかを見ることで、だいたいその議論が意義のあるものになるかどうかを見通すことができる。 サンプルはこちらのコメント欄。

ちょっと戯画的なので、例としてはあまりふさわしくないのかもしれないけどね。そもそもこのケースでは、議論は始まりさえしていないし。
ここのコメント欄でoruteさんがとっている手法は、

  • 相手を『レッテル貼りをするやつ』と非難するために、自らレッテル貼りを繰り返す(「学生さん」など)
  • 相手のレッテル貼り行為を誘発するために、いかにもレッテルが貼られそうな言動をおこなう(この場合は『厨房』と呼ばれるために、厨房と呼ばれるのにふさわしい言動を繰り返す)
  • 『コメントを削除された』と云う非難をおこなうために、誰でも削除したくなるような醜悪な用語を使ったコメントを繰り返す
  • 議論の精度を上げないために、つねに主張の対象と内容とレイヤーを曖昧にして、焦点を絞りこませない
  • 捨て台詞を吐く(oruteさんは吐いたあとで何度も飲み込んでるけど)

などなど。まぁいちばん、なんと云うかかっこいいのは、

  • 相手を揶揄するためだけの用語(このサンプルではtypo)を、『うまいこと云った』みたいに認識して連発する

って手法だけど。

極端な例ではあるけど、でもまぁ同じことをしていないか、されていないか、みたいなことは(議論のどちら側に立っているとしても)たまに考えてみてもいいのかな、みたいに思う。それが幾分か、oruteさんよりも洗練された手法であったとしてもね。
まぁもちろん、自戒も込めて(この対話ではじっさい、ぼくの方もいくらか誘導的である)。こう云う手法を使ってもべつにそれで勝てるわけでもないし(相手が乗ってこなければそれまでなわけで)、結局は「勝ちたいだけだ」と見透かされるだけ。相手がこの種の手法を使ってきたからと云って、おなじような手法で返しても、意味のある議論はおそらく永遠に始まらない。

逆に云えばたぶん、実りある議論ができる相手かどうか、と云うのを判別するためのある程度の精度が見込める基準にはなるのかも(どう対応するか、は議論の目的によるけど)。このサンプルではブログのコメント欄だけど、議論の場が変わってもたぶん基本的には同じ。BBSだろうがtwitterだろうが、ね。

# ついでに云うと、こうやって引用可能な状態で「残る」ので(それが4年以上も前の話でも)、やっぱり発言には気をつけましょう、と云う教訓でもあるかも。