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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

「エア御用」の使われかた

sionsuzukazeさん(でいいのかな)の陰謀論とエア御用論と云うエントリを読んだ。

まぁこの「エア御用」と云うことばについては、それがその呼称を当てられた対象者を漠然と誹謗する以外の機能をもたないことばである、と云う点について、黒猫亭さんが「エア御用」考と云うエントリで述べてらっしゃるのだけれど。

批判、であればその批判が正当かどうか判断するにあたって依拠する基準が提示されている必要が当然あるのだけれど、要するにそこを明確に示すことを回避することで批判のかたちを借りた誹謗を汎用的におこなうことができるように設定され、運用されていることば(原発業界御用学者リストのエア御用とは?のページを読んでも、特定の意図にもとづいていくらでも拡張できるような散漫な定義が並んでいるだけ)。

例えば、政府の各種諮問会や委員会における「民間委員」と呼ばれるものは、多くの場合「まるでお飾り」であることは過去にも度々指摘されていたが(だからこそその形骸故に報酬が批判されていたはずだ)、その影響の軽さと比べても「エア御用」はさらに政府との関係は薄く、場合によっては何らの関係も持ち得ないことがある。それにも関らず「エア御用」と呼び、「政府を利する」と糾弾する場合、それは「政府を利する意図」と「純粋に自身の見解に基づく主張」とは「本質的に区別不能」なのであって(そもそもどのような弁明を加えても「主張故に糾弾される」のであれば、意図は無関係となってしまう)、それは「陰謀論」にも似た「答え在りき、証明不要(または不能)」の言説と極めて似た構図となってくるだろう。

まぁ、要はそう云う話で。

でもまぁ気をつけるべきなのは、その誹謗のニュアンスに、エア御用と呼ばれた側がまっすぐに反応する必要はない、そうすべきではない、と云うこと。
例えば科学的思考に一定の価値基準を求めたうえで、ニセ科学に対して批判的な言説を発する人間なんて云うのは、その批判が不都合な人間とか、気に入らない人間からすると誹謗の対象になってきたわけで。そもそもニセ科学的言説と云うのはおおむねあからさまなロジック上の瑕疵がある(それは科学的かどうか、と云う議論以前のものであることも多い)ので、擁護するためには屁理屈による無限の撤退戦を試みるか、人格攻撃を含めた感情論を返すしかないのが一般的な展開で。そう云うものに対していちいち傷ついて、傷つけられた自分の感情のために反論しても、それは結局同じステージに降りていくだけのことになる。

ニセ科学の問題を論じるにあたってはそれぞれの論者にそれを論じるための動機があるわけで、その動機に正当性があっても、かならずしもそれが相手に受け入れられるわけではない。すくなくともそれが科学的に正しいから、と云う理由で受け入れられることはまずないし、「科学的に正しいことを云うこと」がそれ自体で称揚されるべき正義だ、と評価されることもまぁ、ない。
科学に準拠して社会にある問題について語ろうとする以上、それはそう云うものだ、と受け止めるしかないのだと思う。

以前、ある論者が「水からの伝言」を肯定的に受け止めたことをべつの論者が批判したことから始まった、長く大規模な泥仕合が生じたことがあって。
この際にはぼくもいくらかコミットしたかたちになったのだけれど、このときには「批判した『ただしい』論者を、批判された『まちがった』論者とその取り巻きが攻撃した。『ただしい』論者の正義と名誉を守るために、『まちがった』論者は論者としての命脈を絶たれなければならないし、そのシンパは殲滅されなければならない」みたいな展開になって、結局はそれぞれの大将の名誉をめぐる見苦しい団体戦になった(発端はニセ科学の議論だったけれど、最後にはそれは『ただしい』論者シンパが便利に使う、安物の「錦の御旗」もどきの扱いにされてしまった)。
うちのコメント欄も延々続く、議論とも云えないような不毛な対話もどきの応酬の現場になったのだけれど(醜悪なのでリンクはしない)、この論戦のなかで、ぼくは本来相応の見識を持っているはずの論者たちが相互に、正視に耐えないような獰悪な罵声をぶつけ合う光景をなんども見た。もはやニセ科学も、思考の合理性も、議論の名分もなにも関係なく。

おのれの名誉に拘泥してこのような行動に出てしまえば、その言説の有効性は削がれてしまう。それは、そもそもニセ科学の問題に言及しようと思った動機と照らして、適切な行動なのか。
例えば菊池誠が、「エア御用」と云う用語をめぐって大阪大学STSの研究者と議論したりする。上に書いたような心性を持っている人間はその行動に自分を投影して、「誹謗されたから菊池誠が怒って詰問しているんだ」みたいに解釈しがちだ。でもこれは菊池誠と云うより、むしろ議論の相手となったSTSの研究者を侮蔑した理解であって(学際的な分野「そのもの」を研究対象とする研究者が、他分野の研究者にその部分について議論を求められている、と云う状況を「いじめられている」と解釈するのは、控えめに見てもその研究者本人の資質、ひいてはその学術分野の存在意義に疑義を差し挟む行為だ)。そこに誠実に応えられない場合には、せいぜい云ってもSTSと云うのが現時点でその程度にしか成熟していない(もちろん特定の学術分野が未成熟であることは、その分野の存在意義を否定することではない。現時点では利用価値のまだないものであっても)、と云うことを示すだけの話なのだから。

余談ではあるけれど。
議論の主戦場がtwitterなので議論そのものに積極的にコミットしていない(今後もたぶんしない)けれど、「エア御用」と云う用語を積極的に使いたがる論者のなかに何人か、過去のいきさつから「ニセ科学に否定的な言説をものす論者を誹謗できるなら、どんな筋の悪い腐ったロジックでも乗る」向きが混じっているのを確認している。
当然ながらまぁ、そう云う向きにとってはこれ以上便利なことばもない。と云うか本来、「エア御用」と云うのはそう云うひとたちのためのことばだ、と云うのが正確な理解なんだろうと思う。