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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

与えること、奪うもの

asahi.comイオン、宮城に東北最大級のショッピングセンター計画と云う記事を読んだのだけれど。

http://www.asahi.com/business/update/0603/TKY201106030572.html

もともとぼくは市街中心部を主要な行動範囲にする人間で、だから最初からバイアスがあると云えばあるので、そこは差し引いてもらうとして。

今回の震災で身の回りで見たのは、日頃は充分潤っているとは云いがたいような小規模の個人商店が、なんとかがんばって商材(とりわけ食料ですね)を確保して、まぁ多少値段は高くついているくらいのことはあっても、周辺の住民に供給している風景。どの商店も長蛇の列で、まぁ2時間も営業すれば売り物は底をついてしまって、また明日、みたいな。

震災初期にはうちに友人がひとり滞在していて。彼は郊外の、自動車がないと充分に生活できないような地域に住んでいて、要はあれこれ不便なのでうちにいたのだけど。
そう云う郊外の住宅地では多くの場合生協やイオンの大型店が生活物資の主要な供給源となっている、と云うのが一般的な情景(宮城の場合多少例外的に生協が強い、と云う部分があるようだけど)。でもこの記事にあるイオン利府SCのように、被災によってその役割を担うことができなくなったイオン系の大型店が、今回の震災では複数生じている。そう云う場合に、その大型店の存在を前提にして生活を組み立てている住民はどうするか。

別の友人は、山形まで買い物に行ったりしていた(とは云えダメージはロジスティックにもあったわけなので、山形なら物資が豊富だった、と云うわけではなかったらしい)。まぁそれもいいだろう。ただその直後に襲ってきたのが、パニックにさえつながりかねないガソリン不足だったわけなのだけれど。

感覚的なもの云いで申し訳ないし飛躍があるのも承知しているけれど、この東北最大級の大型ショッピングセンターは、周囲一帯が自力で生き延びるための手段を奪って収益に変えるためのもの、のように感じられて仕方がない。
べつに災害がなくても、儲からなければいつでも撤退できるしね。そのときに、東北最大級の大型ショッピングセンターから供給されるものを前提に生活をつくりあげていたひとたち(とその地域)になにが起きるのか、あんまり考えたくないけれど。