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Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

ファースト・アルバム

余談

こんな話を書くことに意味があるのかどうか。たぶん、最近書いてきたこととひとつらなりのものとして、ぼく自身にとっては意味があるのだろう。

ファースト・アルバムは特別なもの、と云う話。

初期衝動、と云う言葉があって。これが日本特有の云い回しなのか、ほかの国でもおなじような言葉があるのか、は知らない。

バンドを組む。音楽をつくる。そこには云いたいこと、伝えたいことがある。そして、その時点でできることを総動員して、かたちにする。できること、のほうが足りなくて、伝えたいこと、のほうがあふれていて。できあがる表現はすり切りいっぱい、ぱっつんぱつん。ファースト・アルバムには、そう云うものが多い。そして、ぼくは多くのミュージシャンのファースト・アルバムが好きだ。

もちろん、シリアスに音楽に向き合っていれば、できることはどんどん増えていく。伝えたいことを過不足なく伝えて、場合によっては余裕なんかもできてくる。これはふつうはいいこと。ロックミュージック、以外なら。

初期衝動の強さ、伝えたいことのオーバーフロー。スタイルとしてのロックは、デフォルトでそれを要求する。アノニムな表現であることが、許されない。そもそもの矛盾が、そこにはある。結果、ロックバンドはかっこわるくなるか、ロックじゃなくなるか、解散する。ソロのロックミュージシャンは、かっこわるくなるか、死ぬ。

ロックンローラーが、なぜ29歳で死ななければいけないか。それ以降の人生が、なぜ余生なのか。答えのひとつは、たぶんここにある。

ロックが、ロックであること、だけを理由にその存在を許容されるべきものなら。セカンド・アルバムにあるはずの成熟は(そしてそれに伴う葛藤は)、無用なものになるだろう。

そして、その陥穽を、そのパラドックスをくぐり抜けることのできたロックンローラーたちは、はたしてなにを持っていたのか。「大人のロック」的な腐ったノスタルジーを表通りで堂々と語って恥じないような、パッケージされた安全な「未成熟」を金で買って満足しているような小汚いリスナーになることに甘んじたくないのなら、たぶんそこを考えなければいけないんだろうな、みたいに思う。

いつまでもねんねじゃいられない、初期衝動は永遠には続かない。だからと云ってつまらないおとなになるしかないのか、と云われれば、否と答えたい。そして、その方法はたぶん、一生かけて探していく。