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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

スケール

地震のあと、はじめて車に給油した。

報じられているみたいだけれど地震後の石油事情はけっこうひどいことになっていて、被災そのものはたいしたことがなかった仙台の街中でも、ガソリン・灯油は入手困難、みたいな状況になった。もう3月だったので、たとえばうちなんかでは灯油が備蓄分では足りなくなる、みたいなことはなかったのだけれど、それでも開業しているガソリンスタンドに並ぶ長蛇の列を見ると(自宅からいちばん近所にある出光はなにかしら仙台市内でもコアな位置づけにある店舗らしくて、震災の翌日から毎日タンクローリーが供給に来ていて、ここ3週間自動車の列がたぶん延べ2キロを切ったことがない)、自動車の利用はちょっと気がひける感じがあった。

昨晩よく眠れなかったので、今朝は腹を据えて、朝6時からガソリンスタンドに並んだ。ただ、(行列はするものの)石油事情は一時期ほど緊迫したものではもはやないような様子ではあった。

避難所で一晩過ごしたあとでまず心配になったのは飲料と食料で。書いたけれど仙台の中心部は電気と水道の回復がかなり早かったのだけど、とくだん食料の備蓄があったわけではないので、やっぱりそっちに関心が行く。たまたま2人で1か月弱は持つ程度の米はあったのだけど、それだけと云うわけにはいかない。

で、こうしたときには、とりあえずなにが手に入るのかを歩いてみて確かめることになる。

コンビニエンスストアなんかはすぐに在庫が払底しちゃってたんだけど、翌日ぐらいからはぼちぼちと開店している個人商店なんかも出始めた。ちいさな八百屋なんかに長い行列ができている。水道と電気が来ているので、火力をプロパンでまかなっている飲食店なんかは在庫をもとに、わりとすぐに炊き出しを始める。ごはんのおいしさが売りの定食屋がおにぎりを売っていたり、明治10年創業の餅屋がおこわを売っていたり。このあたりは中心部のはずれ、ロコ度が高くて日常的な地味な店が多いのだけれど、なんだかそう云う地域ならではの地力みたいなのがどうも存分に発揮されている(すごかったのが近所の、古くて冴えない印象なのだけどその固焼きそばが一部にアングラ的な人気を誇る中華定食屋。「卵がないのでチャーハンはできません」とか云いつつ、ほかの通常メニューはぜんぶ出していた。ぼくは頼まなかったけれど、震災3日目にエビチリを食べる一団なんかにでくわしたり)。

もっと街の中心部に近づいても、ともかくもなにか出せる店は開店して出せるものを出す、みたいな光景がたくさん見られた。すごかったのは地震後一度も店舗を閉めている様子を見たことがない藤崎デパート向かいの白松がモナカ。みんながごはんの心配をしている街中で灯りをつけているモナカ屋さんの様子は、なにかほっとさせるものがあった。

ただこれは、仙台と云う都市の中心部、こちらなんかで以前書いたような、自動車の普及していない時代からつくられてきた街、の話で。

郊外の住宅地は、そこが新しければ新しいほど、自動車の利用をつよく前提においた街づくりがほどこされている。経済活動は自宅とイオン(か生協かヨークベニマル)の駐車場のあいだの、自動車での移動をベースにおこなわれるのが基本形になる。そう云う環境だと、ガソリンの有無、と云うのがまさに生命線になる。30分も歩けばどこかしら開店している店が見つけられる、と云う環境は、仙台の人口のなかでもごく一部しか持っていないわけで。

つれあいがバイトでたまに出かけている仙台市北部に隣接する住宅地では、その中心にある巨大なイオンのエスカレーターが崩壊して営業不能に陥ったらしい。こう云う状況でガソリンがないと、それだけで生活に全面的な支障をきたすことになる。

何度も書いてきたけれど、郊外とそこに育まれる文化が苦手で。でもこう云う状況になると、単に経済的な部分の話じゃなくて、まちのつくり、と云うのはなにかあったときに状況を大きく左右しうるんだなぁ、みたいに感じたりもする。

まぁ、ぼくも自活能力のない脆弱な都会人にはちがいないので、あんまり利いたふうなことを云えた筋合いでもないんだけどね。