Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

錆び付いた歯車がきしむ

ほとんどばかばかしいような、絵に描いたようなことがたまに人生には起きるのを知っているひと、経験したことのあるひとは多いと思う。それはときには感動的だったりすることもあって、そうするとそのことに対して「単に現に起きたこと」以上の意味付けをしてしまうこともあったりする。ぼくはひとのそう云うこころの動きに対してわりあいと批判的なことを書く機会が多いけれど、でもそれはそれで、ちょっと愛しささえ感じさせるような人間のこころのしくみのひとつ、みたいにも思っていたりする。

職場で内線が鳴って、取ると総務のおねえさんが「おともだち、とおっしゃるかたから電話なんですけど」なんてちょっと訝しげな声。でも、そこで告げられた名前には、たしかに記憶があって。15年ぶりに聞く名前。

もういい歳のおっさんなので、そのいい歳に相応な分くらいは女性とかかわってきてはいて。でも、ほんとに惚れた女性、と云うといいところ3人くらいのもんだよな、みたいに思う。で、客観的評価を聞くかぎり、その3人のうちもっとも別嬪なのはどうやらうちのつれあいみたいなんだけど、残念ながら個人的な好みと云う点ではいろいろずれがあって。

で、今回電話をかけてきたのが、そう云った面でいちばんぼくの好みにかなう容貌を持ち合わせていた女性。どんな感じかと云うと、ファイブスター物語をご存じのかたは、そこに登場するファティマたちをイメージしてくれれば、だいたいあってる感じ。

惚れていた、と云うことは、かつて振られた、と云うことで(惚れていてしかも最終的に振られなかった女性がひとりだけいるけれど、その相手とは当然の帰結のごとく現在世帯を営んでいる)。それがおおむね15年前の話。ひじょうに往生際のよろしくない振られかただったのもあって、あたりまえながら連絡は完全に途絶えている状況が続いていた(ってえか、綺麗に別れられるような関係なら、個人的に「惚れていた」の定義から外れる)。

だからほんとうに15年ぶりの、声。そして、それは記憶にあるものとほとんど変わらない。

ぼくの勤める会社は海を持つ区に属していて、そしてその区の沿岸部は津波によって、仙台市内でおそらく最大の被害を出していて。彼女はぼくの本名をGoogleに放りこみ、現在所属する会社の住所を確認し、そこで最悪の事態をイメージして、ともかくも電話をかけてきたのだった。

驚いた。でも、彼女も自分のとった行動に驚いたらしい。なんだそりゃ。

業務中でもあるので(ぼくだけじゃなくて、彼女も)、とりあえずメールアドレスだけを訊いて電話を切る。その日帰宅して、いちおうつれあいに話してから、メールを書く。返事には、15年分の彼女の時間がかいつまんでざっくりと。そしてそこには「残念だけど、貴方の愛した若くて可愛いあの子は、もういません」なんて言葉が。彼女らしい苦みのまじった、虚勢じみたユーモアのセンス。

15年振りの、そして多分最後のコミュニケーション。

いつかは起きることだったとは云え、今回の地震に関して「よかった探し」めいたことをするつもりにはまったくなれない。とは云っても、大きな出来事はひっかかっていた歯車を廻すみたいな作用をすることもあるんだなぁ、みたいには感じたりもする。