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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

遊芸

らふすけっちさんの音楽人・バンドマンに警告!ライブハウスが潰れます!と云うエントリを、友人のmixi日記経由で読んだ。

個人的にはここ数年、音楽と云うのは録音で聴くものではなくて、ライヴでその場でつくられるものを聴くもの、になっていた。

結局のところ仙台なんて場所は狭苦しい、ちょっと表に出れば誰もが知り合い、みたいなスケールの街ではあるのだけれど、それでも相応の人口を持つぶんだけ、そこには(プロ・アマ問わず)そこそこの人数の優れたミュージシャンたちがいる。べつだん音楽なんて云うものの快楽は、それが流行っているかとか、先鋭的であるか、みたいな部分にばかり支配されるわけではないので、勘所を心得た優秀なミュージシャンたちがつくる音楽をその場で聴くことができれば、それ以上に楽しいことはない、みたいなことがこの年齢になってわかってきた、みたいなのもある。

ぼくはとうてい被災者、みたいには名乗れない。
でも、この地震にまつわる一連の騒動のなかで、音楽に救われた、みたいな感覚は何度も味わった。
音楽と云う手段を用いて表現をおこなうことを選んだものにとって、その選択した手段でなにをおこない得るか、と云うのは、自分の存在を賭けた生命線のはずだ。この状況で自粛、みたいなスタンスを選択した音楽家にとっては、音楽と云うのはその程度のものだったのだろうな、みたいに感じる。

とうてい音楽なんて楽しんでいられないひとたちも、まだまだいる。
でも、そう云うひとたちに思いを馳せながら、それでも(たとえば、東京以西の日本に住んでいるひとたちには)音楽を楽しんでほしい。それはひとが生きることの、負けないことの証明でもあるのだとぼくは思う。そして、すぐにそこに、ぼくたちも戻っていこうと思う。

おそらくこの国でもっともポリティカルなロックンローラー中川敬についての評価はいろいろあろうし、ぼくも多少複雑な思いはある。それでも、阪神淡路大震災の際に彼がソウル・フラワー・モノノケ・サミットを組織して取った行動は、災害に直面した状況での、表現者としてのミュージシャンのロールモデルとなりうるもの、だったのではないかと思う。

負けるな。ぼくらも負けない。
みんなで、音楽を楽しもう。ぼくも(この街のミュージシャンたちと一緒に)そうする。