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Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

記録(Mar. 11-12, 2011)

3/11

同僚の自動車で松山町から利府方面へ向かう途中で地震発生。車中であることもあり、地震の大きさについては実感が得られない。車のナビをテレビ放送に。津波の実況。凄まじすぎてリアリティが薄い映像。

会社まで2時間あまり。停電によって止まった信号多数、ロードサイドの店舗も停電中なのが見て取れる。会社にはだれもいない。いちおう社内に入ってみる。想像以上の荒れよう。

いてもしかたがないので、ひとまず自分の車で自宅を目指す。随所で信号が止まっているのですいているときは15分強のみちのりに2時間。

マンションに到着して自宅を目指す。エレベータは当然止まっているので真っ暗な非常階段を登る(あとでもうひとつ、外階段があるのに気付いた。そっちのほうが星明かりでいくらか明るかったはず)。自宅も真っ暗で、玄関を開けてもなにも見えない。つれあいもいない。ちょうど隣家の奥さんと娘さんが避難所に向かうところだったので、懐中電灯を借りる。

家の中に入る。床は一面の本とCD。食器棚が倒壊している。スーツじゃ動けないのでともかく適当に着替える。押入れから毛布を数枚持ち出して、自宅を退去。近隣の避難所に指定されている中学校に向かう。

中学校も電気が来てなくて真っ暗だけどとりあえずストーブが焚かれていて温かい。さきほど懐中電灯を貸していただいた隣家の方々にお会いできたので返却する。武道場はもういっぱい、とのことで講堂に。卒業式の装飾がほどこされたままの講堂でしばらく呆然と座り込んだあと、つれあいを探す(自分の苗字を叫びながら歩くのは妙に気恥ずかしい)。講堂と武道場を2周程度で会えたのはまぁ相当の幸運なんだろう。

さきほど懐中電灯を借りたのと反対側の隣家のご夫婦といっしょ。とりあえず毛布を広げてくるまって、つれあいの持っていた賞味期限切れの乾パンをかじる。ちょっと気が緩むと不謹慎な冗談が口をついて出そうになるのは、これはもう性分だなぁ。

救援物資なんかはもちろんまだ届かない状況で、最初に配布されたのは河北新報の号外。「暗くて読めねぇよ馬鹿野郎」とか云いながら懐中電灯で読む。余震が来るたびに窓ガラスががたがた揺れる。携帯電話もつながらない。硬い木のフロアのうえで、断続的ながらも、疲れているのかそれでも意外なくらいによく眠れた。

3/12

朝6時前。公衆電話が解放されているので、混む前に実家の親に電話。自分とつれあいの無事を告げて、拡散希望。救援物資は依然到着せず、中学校が備蓄しているアルファ化米の配布がある様子。

自宅に戻って車で職場に。とは云え職場でも命令系統が機能しない状況で、結局はなにもせずに帰宅、と云うか避難所に帰還。アルファ化米がとっといてもらえたので食べる。

正午ごろ電気復帰(早いな、と感じた。あとでやはり、例外的に早かったのを確認。市街中心部のはじっこ、だからね)。再度職場に行くがだれもいないので自宅に戻る。水もでているけど赤水、でも電気が来ているので水道の復帰もまもなく、って感じ。とりあえず自宅の片付けにとりかかる。食器棚と本棚がひとつ崩壊、併せて電子レンジがぶっ壊れ、逆に云うと室内の被害はその程度。

ここでなぜか友人Aが登場。いろんなひとの安否を確認して回っていたらしいのだけど、そのままうちの片付けを手伝うことに。友人Aの泉区の自宅はライフラインが停止中なので、うちにいるほうがあったかくてテレビも見られる、と云うのもあったかな。ただしうちも停電の影響かVDSLモデムがぶっ壊れて(電源が入らない)ネット環境はなし。

携帯からこのブログにアクセスする。前日にミクシィで身の安全だけをつぶやいていたのが多少流通して、何人かのひとたちには伝わっていたみたい(お伝えくださったかた、ありがとうございます)。で、そのミクシィ経由で、共通の知り合いのピッツェリアが炊き出しの準備をしているらしいのを友人Aが確認する。

日も暮れたしおなかも空いたし、知った顔のだれかと会えるのがものすごく気持ちを落ち着かせると云うことを痛感したので、家を出てくだんのピッツェリアへ。

シェフは元気そう。いきなりビールが出される。呑む。うまい。昼に販売しているお弁当の残りらしいものを出してくれる。食べる。美味しい。サルサが流される。シェフのご家族が来て、ちっちゃな娘さんも登場。にぎやかになる。その日に予定されていたパーティの料理が供される。鴨にワイン。ダンスを始めるひとたちもいる。

いったいこんな状況で、ぼくたちはなにをやっているのだろう。でも、知人の元気な顔を見られるのが心底嬉しい。サルサのクラーベが、不思議な感じで心にあたたかくしみとおる。


直接顔を知っている範囲では、身にほんとうに深刻なできごとがあったひとは(いまのところ)いません。なので、ほんとうの深刻さは、ぼくには感じられていないのかもしれない。でも知っているなかでも、流されてつかまって踏みとどまって生還したひとや、ウェットスーツで冠水のなか自宅まで戻って妻子を救出したひとがいました。

がんばって報われたのは、すてきなことです。報われなかったのは、痛ましいことです。それでも、すべての災害は、なにかの報い、などではありません。そのような部分に原因を求めようとするこころの機能は存在しますが、そのような理解に陥らないよう努力できるのが、ひとのひとたる部分だと思っています(そしてそれを忘れたとき、ひとはひとと呼ばれ得ない存在ともなってしまうのかとも思います)。

友人の歯科医が石巻に駆り出されて、遺体の歯式を取る作業に従事してきました。彼はミクシィの日記で、災害の現場で、疲労のピークにありながら働いている多くのかたがたについて書いています。多くのひとが、なすべきことをなしています。これはぼくの話、ではなく、それでもぼくたちの話、です。

このような状況では、ひとのすてきな面も残念な面も、通常よりもあからさまに晒される、と云うことはあるように思います(ぼくについて云えばここまで書いたように、馬鹿さ加減が晒された感があります)。でもこれまでおおむね、ぼくたちは「ぼくたちのこと」として誇れるようなスタンスで、この災害に対処してきている、と感じます。

でもまぁ、すべてはこれから、ですが。