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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

認識以上の溝

gurenekoさんの脳科学と科学技術コミュニケーション――シンポジウム荒しとの再度の遭遇と云うエントリをたまたま読んで、でもってちょっと考えた。

日曜日に東京大学「脳科学と科学技術コミュニケーション」と云う公開シンポジウムを実施していたらしくて、gurenekoさんのエントリはその参加報告。で、こちらに以前ぼくがその著書のレビューを書いたことがある(ぼく個人としてはどちらかと云うと好意的な評だったつもり)東北大学脳科学センターの長神風二氏が登壇していたみたい。

休憩を挟んで、長神風二氏の「脳科学とコミュニケーションの現場」。脳科学の面白さを一般市民に伝える仕事をしている人間としての、現場の紹介でした。興味深かったのは、疑似脳科学の氾濫については、現場ではかなりポジティブだという話でした。教育とかジェンダーとかがテーマだと、疑似学問のコチコチの信者や個人的体験の至上主義者と永遠に解り合えない事態が多々あるのに対し、脳科学ではそういう事は起きないという話でした。そして俗説は俗説で、興味を持ってもらう入り口になっているみたいです。

 最後は朝日新聞の高橋真理子氏。新聞がどういう時に何を記事にするかについて語っていました。

 その基準は科学者の基準とは違っているので、時として疑似科学に好意的であったりします。この現状を後の総合討議で長神氏が擁護していたのが印象的でした。特定の価値観に安住するな、というのが長神氏の立場でした。読者のいる新聞に何を載せるかという判断と、研究者による判断は別物でなければならないのだと。

なるほど。現時点で現役で活動している日本のプロパーのサイエンスコミュニケータの認識って、こんな感じなのね。なんかわかった気がする。

ちょっとまえにぼくは内田麻理香氏のいいぐさがあんまりだとか感じたのでエントリを書いたりしたのだけれど、日本でサイエンスコミュニケータと云う職業に就いているひとたちでこのへんの認識が共通しているのだったら、そりゃ科学者でもない、あまつさえ理系でさえないぼくみたいなスタンスの人間がニセ科学の問題について言及したりしているのを見れば、まぁ疑似科学叩きに懸命な人として科学原理主義みたいなことばで揶揄したくもなるよなぁ。気持ちはわかる。愉快じゃないけど。
gurenekoさんはすこしフォローするようなことを書いてくれているけれど、やっぱりなんかへこむなぁこう云うの。いちばん期待したかった職能のひとたちだったから。

ところでこのへんについては、きっとvikingさんならなんらかの見解をお書きになっているはず、とか思ってちょっと探してみたら、科学コミュニケーションは本来2系統に分かれる:そして今必要なのは第3の系統と云うエントリを見つけた。

僕は科学コミュニケーションの専門家でも何でもないので名案も妙案も持ち合わせてはおりませんが、ベタなことを書くと「異なるベクトルを向く2系統同士を橋渡ししてバランスさせる第3の系統を作るべき」だと思うのです。

なるほどなぁ、と思う。でもそんなの、だれもやらないよなぁ、たぶん。残念だけど。