Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

僭称

名もなき詩人で地球市民のうるさん(どこまでが肩書きでどこからが名前なのかわからない)の生命真理としての肉食 と云うエントリを読んだ。

私は現代科学というものに有用性を感じていません。

いますぐ回線を切って目の前のコンピュータを捨ててらっしゃい。あなたの言葉に傾聴の価値があるとすればそれからで、そうじゃなければただのHypeだ。ってまぁ、このへんの話はここからここにかけて書いたようなこと。

むしろ、科学は不要であるばかりか、場合によっては非常に有害であると考えます。

このかたにその言葉をだれかに届けうる手段を与えた、と云う一点において、科学(とその成果のひとつであるインターネット)は確かに有害である側面を如実に示しているけれど、同時に有益な言説も数多くぼくに届けてくれるので、この点ではまぁ差し引き個人的にはプラスですね。

科学に慣らされた常識的な思考では、私の主張は時に突飛で、ナンセンスな印象を与えることもあるでしょう。
私は、その点に臆病になるつもりはありません。私が目指すのは、科学よりもより真理に近い洞察です。

印象を与える、と云うか、根拠も示さずに「思う」「考える」だけでつながれていく主張は、単にほんとうに突飛で、ナンセンスなだけのものだとみなされてもしかたがないんじゃないかな。常識的な思考で理解できない主張は、たいていの場合常識を超えているのではなくて、単に常識に届いていないだけの場合が大半だ。

たった一匹のサルが獲得した発見・気付きは、空間を飛翔し、他のサルへと伝播します。

よく知られているようにこれはライアル・ワトスンによる創作であり、ワトスンが引用元として挙げている河合雅雄はこの現象をきっぱりと否定している(つなぶちようじ氏によるインタビューで、本人がはっきり云っている)。そう云うわけで、このことを根拠にした主張は端的になわけだけれど、まぁここまで読んできたこのかたのスタンスからすれば、嘘をつくことそのものを悪いことだとはあまりお考えにならないんだろうな、とは推測できる。

ですから、人の想念が水の結晶の美醜に影響するという「水からの伝言」は、それをニセ科学として退けようとする蒙昧な現代科学思想より、はるかに真理に近い考えであると思います。

これも単純にであるわけなんだけれど、まぁ嘘つきが嘘の根拠に嘘を持ってくるのは、薔薇の木に薔薇の花が咲くのと同じくらいには自然だ(でもおなじくらいの溜息は呼ぶかもしれない。ほぼ逆の意味合いで)。

ただねぇ。
嘘が羅列されているだけの美しくもない文章を綴る人間が真理を語ったり、あまつさえ「詩人」を名乗るのは、傲慢とかそんな程度ではない、限度を超えた僭称だと思うのだよね。