かくもありうる、そのことを
村上吉文さんのエジプトぱねぇ! アルカイーダにガチンコ勝負。と云うエントリを読んだ。
だめだ。涙がでてくる。
ひとの信仰は、このようなかたちをもとりうるのだ。このような行動に、ひとを駆動しうるのだ。
大切なのは、テロに遭遇するリスクを冒してまで、多くの人々が礼拝に参加したということです。テロの目的は人々を殺すだけでなく、コプト教とイスラム教の信者を分断させ、エジプトをイラクやアフガニンスタンのように崩壊させることだったはずです。しかし、この人々は、単に二回目のテロを防いだだけでなく、コプトの人たちを皆で支援することによって、分断されるどころか、却ってその絆を強くしたのです。その意味で、ここの人たちは真っ向からテロに挑戦し、そして、勝ったのです。
わかりやすい友愛ではなく、とっつきやすい対立の構図でもなく。
おなじ信仰の旗のもとで、テロや戦争も生じうるし、このような行動も生じうるのだ。だとすれば、憎むべきものは、ほんとうはなにか。もっとやさしい世界のために、ぼくらはどんな指針を持ちうるのか。
かんたんな答えはないかもしれないし、もちろんぼくなんかにはすぐには示せない。でも、ひとびとはこのようにあることもできるのだ、と云うことを、エジプトのムスリムたちが教えてくれた。ただそのことに、感謝したい。