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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

まちのあかりが とてもきれいね

某ブクマ経由で、ヨコハマ経済新聞中央図書館で横浜舞台の「ミステリー・ハードボイルド小説展」と云う記事を読んだ。

ぼくは横浜の出身でもないし住んだこともないけれど、東京在住の20代のころにはけっこうひんぱんに遊びにいったりしていたと思う。なにかこだわりがあったりしたわけではなくて、港町(のはじっこ)の生まれの人間として、なんだか居心地がよかった、と云うだけの話。
行ったところでなにをするわけでもない。たいていは石川町で電車を降りてうろうろ元町経由で中華街に入って、とりあえずは関帝廟のそばの自動販売機で青島ビールを買って飲む(青島しかない自販機、と云うのが、昔は置いてあった。いまは知らない)。昼飯を喰ったり喰わなかったり、ともかくもこのへんから山下公園、海の近くをふらふらと馬車道方面、みたいにしているだけで簡単に午後は過ぎる。
あとは伊勢佐木町あたりで晩飯。場合によってはJohn John(いまぐぐったらサイトがあった。びびった)でホットドッグとビールを売ってもらって長者町あたりをうろうろしながら齧ったりとか。で結局野毛あたりに行き着いて(ちゃんとした地名とかはわからないけど)なんだか適当な怪しいバーとかで、カウンターでスウェーデン人の船員なんかにはさまれたりして呑む。

なにしに行ってんだかよくわからないけど、とりあえず気楽で楽しい。こうやって書くとなんか無頼を気取ってるみたいでちょっといやったらしくも感じられるんだけど、その時点の本人はかっこつけてる意識なんかみじんもなくて、なんかやりたいことをやってるだけ。
いま思い出したけど昔「横浜でデートした女の子にはふられる」みたいな個人的ジンクスに思い至ったことがあって、でも考えてみるとこんなちょっと剣呑なコースにつきあわされてもまったく動じない女の子なんてそうそういないかも、みたいに改めて考えると思う(ひとりいたけどそれはうちの妹なので、ふられるとかなんとか云う話ではない。と云うかうちの妹は実の兄から見ても国籍不明の珍妙なキャラクターなので、いろいろと例外ではある)。ひどい話、なのかもしれない。

そんなわけで(ここ5、6年は行っていないけど)横浜と云う土地には多少の表面的な馴染みはあるのだけれど、ハードボイルドみたいなのとどう結びつくのか、みたいなのは実感としてはよくわからない。まぁでも「横浜ホンキートンク・ブルース」なんかにひっぱられるようなイメージはあったりはする。フィクションとしての、ヨコハマ。で、へんな話だけどそこにはまた、現実の横浜とはまた違う愛着もあったりして(あと横浜はケンタフランチャイズでもあるわけで、単車乗りとしてはまた別の意味合いを持つ土地だったり)。

 横浜を舞台にしたハードボイルド、ミステリー小説を紹介する企画展で、北方謙三さんの横浜の警察と暴力団を描いた「弔鐘はるかなり」、今野敏さんのハードボイルド小説「逆風の街-横浜みなとみらい署暴力犯係」、山崎洋子さんの横浜の遊郭を舞台にした江戸川乱歩賞受賞推理長編「花園の迷宮」、佐伯泰英さんの江戸時代の横浜居留地が舞台の時代小説「雷鳴」、島田荘司さんの横浜市西区の「くらやみ坂」が登場する「暗闇坂の人喰いの木」をはじめとする、約90人の作家の120作品を紹介する。

こう云う文脈で矢作俊彦約90人のなかにくくられているのも、さまよう薔薇のように120作品につっこまれているのもなんだか納得がいかない。基本的にハードボイルドなんてわりとどうでもよくて、なのだけどその「わりと」が「まったく」ではない部分の個人的なコアが、なんだか微妙にないがしろにされてるような気がする。それこそばかみたいにどうでもいいことだけど。

どうでもいいことついでに。個人的に愛してやまない、もっとも大事な「横浜を舞台にしたハードボイルド小説」は森雅裕さよならは2Bの鉛筆なのだけれど、たぶんこの展覧会では(作者も作品も)相手にしてもらってはいないのだろうなぁ。