Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

マクロビオティックと呪術(メモ)

どらねこさんのマクロビとホメオパシー−共通点や類似点− -と云うエントリを読んだら、そのなかに、

■呪術的側面を持つ

類感呪術と指摘されるホメオパシーマクロビは?

と云う項目が立っていた。
で、ここに関してなにかちゃんとしたことを述べようとするには、ぼくには呪術についてもマクロビオティックについてもとても不勉強なので荷が重い。そう云う事情でコメント欄に出かけていってなにか書くのは気が引けるのでちょっとこっちで、考えるとすればこう云う角度になるんじゃないかな、みたいなことを、試論と云うかメモというか、みたいな感じで書いてみる。

ここでちょっと、ぼくらの日常生活のなかのことがらを説明するための原理として、おおざっぱに呪術と自然科学を対峙させてみる。

自然科学は、実在論的な立場と斉一性の原理にもとづいて、事実(の近似)を説明しようとする。それに対して呪術は人間の考え方の基本仕様にもとづいて同一のことがらを説明する(このへんの話はこちらを参照)。で、ある意味あたりまえの話なのだけれど、どちらが理解しやすく、どちらに説得力が感じられ、どちらが共感を呼び起こす力がつよいか、となると、それは後者だ。後者の提示する結論のほうが、すんなりと呑み込みやすい。この呑み込みやすさが、かなりのパターンのニセ科学についてその蔓延の背景にある。
で、ホメオパシーはその人間に対する作用機序の説明においては、どらねこさんがお書きのとおり類感呪術なのだと思う。ホメオパシー事業者はなぜかこの類感呪術量子力学的原理と称するので、ホメオパシーニセ科学になってしまう、と云う側面がある。

で、もう一点。レメディの生産過程において用いられているのは、接触呪術で。原物質に触れることで、その性質がべつの物質に乗り移る、と云う説明なので。レメディに多様なバリエーションが必要なのは、その効能をこの原理で説明する必要があるから。逆に云うと、汎用をうたうレメディは生産不可能だ、と云うことになる(「すべての病気の根源」となる物質が必要になる)。もっとも最近ホメオパシー・ジャパンが生産しているレメディには、この原理を逸脱するものがあるようにも聞き及んでいて、そう云うことをするのはそもそも自社の事業基盤を揺るがす要素になりうるんじゃないか、みたいに思ったりもするのだけど(本質にある強固かつ素朴な呪術性から離れた発想は、そこにある説得能力を殺ぐ結果になるんじゃなかろうか)。

で、このへんを見ていこうとすると、やっぱりその表面的な部分から一歩踏み込む必要があるわけで。「水からの伝言」とかホメオパシーとか、比較的ナイーブな水準で科学を装う、呪術だって部分がむき出しになっているニセ科学はむしろ少なくて、たいていの場合その呪術性は思想に昇華されて、もう少し洗練された外見をまとっている(そしてそれが、結果として宗教に近接したりもする)。
ぼくはマクロビオティックについてあまり詳細な知識は持っていなくて、それこそどらねこさんのエントリやその他若干のウェブ上のリソースにもとづいたことしか云えないのだけれど、そこに呪術性があるとすれば、それはそこにある思想性のなかから見いだすことになるんだろうなぁ、みたいに感じる。

根底にある「食がひとをつくる」的な部分については、解釈にもよるけれどもまぁ事実で、そこはそこで措くとして。
(ことばの原意とは違ってるらしいけど)「身土不二」みたいな部分については、これは自然観と関わってくるんだろうなぁ。アニミズムと云うのとはちょっと違うし、ペイガニズムと云うのも適切な用語ではないようなので、なんて云うんだろう。人間を自然の一部として捉えよう、と云う部分。で、これも思想として一概に間違ってるとか正しいとか論じるような部分じゃなくて、まぁたぶん世界中のひとたちに昔から遍在する考え方なんだと思うけど、それを一面的に「よきもの」として捉えようとするのがまぁ思想性であり、問題点にもなりうる部分なんだろう。ここはひとの考え方の道筋としての呪術と云うより、世界に対する認知の方向性として、たぶんさらに基礎的なレイヤーに存在する発想なんだろうと思う。発想自体が呪術的、と云うより、その展開に問題の焦点があるんだろうなぁ。云ってしまえば、呪術を体系化して日常に用いる段階の社会よりも、もっと未洗練で素朴な発想。
一物全体、と云うのもだいたい同じような段階にある話のように思える。なんか、「日本人の伝統的な自然観」をかたちだけまねて、自らのトラディションを詐称するような。骨法の堀辺師範が源姓を名乗って大伴古麻呂以来の伝統を称するのと似てるかも(うわ、まったく的外れな比喩だなこりゃ)。

あきらかに呪術的発想、と云えるのは陰陽調和論で、これは類感呪術ですね。ものごとの性質をいったん抽象的に把握して、それを栄養学的な性質としてフィードバックすることで理解しようとする。ある属性からその物質の性格を抽出してその物質を分類する、と云うこと自体はべつだん呪術的ではないのだけれど、抽出の段階で(ようするに「なににもとづいてどう把握するか」と云う人間の思考にゆだねられているステップで)呪術がまぎれこんでいる。暑いところの食べ物は身体を冷やす、寒いところの食べ物は身体を温める、と云うのは、ストレートではないけれどはっきりと呪術的な説明原理、と云ってもいいと思う。
ただ、陰陽二元論、と云うのは世界中にポピュラーに見られる思考形態ではあるけれど、マクロビオティックには「中庸」と云う概念があるらしいのがちょっと珍しいかも。どこからまぎれこんだんだろう。

で、こう云う呪術的発想って云うのは、順序立てて体系化していこうとすると、なんと云うかどこかでゲーム性みたいなものを帯びるケースが多くて(オカルトや秘密結社が、それがどれだけ洗練されていて秩序立っていても、どこかに中二病的なにおいが残るのと似ている、のかも)。呪術性そのものが持つ訴求力とはちょっと線を引いた部分で、そのことはそれとしてひとを惹き付けるちからを持っているのかもしれないなぁ、とか思ったりする。

…うむむ。もうちょっとちゃんと考えないと、ひとさまの参考になるような内容にはならないかもなぁ。ちょっと反省しつつ、とりあえずこれぐらいまで、かな。