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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

いくらかの不安

河北新報環境と共生可能な社会を 宮城大教授ら「ガイアプロジェクト」と云う記事が掲載されていた(河北新報の記事は一定期間が過ぎると会員登録したひとにしか見られなくなるので、じきにリンク切れすると思う)。

持続可能な社会の実現に向け、情報発信とネットワーク作りを行うプロジェクト「ガイアプロジェクト」を、宮城大の大学教授や学生らが発足させた。活動の第1弾として、映画「地球交響曲ガイアシンフォニー)第3番」の上映会を31日、仙台市青葉区せんだいメディアテークで開く。

プロジェクトには、代表の風見正三宮城大事業構想学部教授(地域計画)を中心に、宮城大生や市民グループのメンバーら約10人が参加。セミナーやアートイベントなどを通じて情報を発信し、ほかの環境関係の団体などと連携を深めていく。

あらあらあら。公立大学内のプロジェクトが、船井幸雄をはじめとする「本物」人脈(トンデモ人脈ともいっていい、と思う。江本勝とかそのへん)御用達の「地球交響曲」の上映会を行う、ですか。大丈夫かな。

「地球とともに生きる素晴らしさを教えてくれる映画」と風見教授。

そうなのかも知れないですけれど、ぼくはその地球とともに生きると云う意味合いがニセ科学に関係するひとたちにどんなふうに応用されているのか、をちょっと知っている。

プロジェクトは最終的に、住民が自給自足的な暮らしを送る「エコビレッジ」の構築を目指す。

教授が旗を振る大学内のプロジェクトで、そう云ったものを目指すのか。なんか違和感があるけれど、うまく言葉にできない。

自分のこととして何度か書いているのであらためて詳述しないけれど、ぼくは人間のつくりとしてはオカルティズムやスピリチュアリズムに親和性が高い。だからニセ科学の問題について書き続けている、と云う部分がある。人間の内的な世界はとても大事だし、そこから認識する世界のすがた、と云うものに対して理解することは重要だと思っている。そのうえで、実在論的な意味での、なんと云うか裡ならざる世界、と云うものとそれを混同することにとても抵抗を感じるわけで。

この宮城大学の教授はご本人のサイト(大学内のサイトとは違う)を見る限りどうやらとても優秀な方のようで(理系の博士号ひとつに修士号ふたつ、文系の修士号ひとつをお持ちだ)、だからそのへんちゃんと科学者としての理解と分別はお持ちなんだろうな、とは思いたい。思いたいのだけれど、上記の人脈には村上和雄や比嘉照夫みたいな「あっちに行っちゃった」科学者も連なっているからなぁ。

で、その当のガイアプロジェクトのブログもちょっと見てみたんだけど。

ちょっときわどいかも知れない。
と云うかぼくはシンクロニシティ、と云う概念をスピリチュアリズムの文脈で解釈しようとするのはとても危険(かつ安直)だと思っていて。このへん10代の後半に河合隼雄ほか経由のユングに「はまって」いた程度のぼくにはきっちりと説明できないのだけれど、「意味のある偶然」はあくまで人間の内的な部分において意味付けされるのであって(そしてその延長上にある、人間同士の関わりの部分で意味があるのであって)、それはそこを超えて、例えばガイアなんて概念、なんかとつながったりはしない。ユング河合隼雄もそんな意味のことは云ってはいない(とぼくは理解している。晩年の河合隼雄はちょっとあやしいかもしれないけど)。このあたり誤解しがち、と云うか、まぁ誤解されても無理のない部分ではあるのだけれど(集合的無意識みたいな概念もあるしね)分析心理学の扱うオカルティズムは、そのまま世界に敷衍されるスピリチュアリズムとは重ならない。

シンクロニシティに触れると、ぼくたちは神秘を感じる。奇跡とさえ思うかもしれない。でもそれはそう感じる、思う、といった領域を超えないものなのだ(だから意味がない、価値がない、と云うことにはもちろんならない。どさくさにまぎれて科学と神秘のあいだにリンク)。

午後0時半開演。2300円(当日2500円)。

さすが、意識の高いロハスなものはラグジュアリーな価格がついてらっしゃいますな。それだけの金額なら、退廃した貧乏人のぼくとしてはラムやウォッカのグラスの底に沈んだ神秘でも探すほうを選ぶとしましょう。