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Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

機能と造形

余談

Wired Visionの美術品としての自動車6選と云う記事を読んだ。

ぼくが基本的に四輪車に対して冷淡なのは(ひごろ公道上でいじめられてるからだけじゃなくて)日常的に見かけるここ何十年かの国産車のデザインが、基本的に「走るもの」としてのニュアンスに軸足を置いていないように思えるからだったりする。

走るための機械なのだから、そこには「走ること」が表現されていてほしい。もちろん高級感とか実用性とかおしゃれさを表現するのにも意味がないとは思わないけれど、そこにはぼくはあまり美しさを見つけられない。
人間には到底発生させ得ない力を制御して、それを速度に変換するための機械は、ふさわしい肉食獣的な優雅さと凶暴さをその姿ににじませていて初めて、美しさ、と云う形容に届くように思う(ちなみにオートバイは「走っている状態でどう見えるか」を中心にデザインせざるを得ないので、状況はだいぶ違う。どんなバイクにも、凶暴さの片鱗がそのデザインに残らざるを得ないのは、多分そのせいだ)。

この記事で写真を掲載されているのは、結果としてどれもこれもまさに「走る」ための自動車だ。1ページ目のアルファとメルセデスは別格として(この姿の延長上にあるものがガーンズバック連続体における「流線型」なのだと思う。そこにはプリウスの登場する余地はない)、個人的には2ページ目に掲載されたアストン・マーティンの姿が示すような、単目的に向かうがゆえの抑制の効いた狂気、みたいなのが印象深い。

あとは3ページ目に掲載されたフェラーリ250。206ディノと並んで、デザインに大向こう以外への媚びが不要だった時代のもっともかっこいいフェラーリだ、と云う感想を、15年ほど前に御殿場にあったフェラーリ博物館で実物を見たときにも新たにしたものだけれど、来館者がだれもかれも粗野なだけに(ぼくには)見えるテスタロッサの前で記念撮影をしているのを不思議に感じたものであったなぁ。