Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

敬意

もう3年も前に書いたエントリなんだけど、今の時期は例年こちらのエントリにアクセスが集まる(書いたときと今ではSo-net Blog自体のURLが変わっているので、ブクマなんかは分散しちゃってるんだけどね。主にタイトルのSEO効果)。でまぁそれは毎年のことなんだけど、なんだか昨日からやけに集中してるなぁ、とか思ったら、mixiのなんだか薄気味の悪いコミュニティからリンクが張られていた(こちらからはリンクはしない)。

いや、まともな発言をしているひとももちろんなかにはいるんだけどね。

あんまりきっちりと考察するのも胸くそが悪いので、手短に。

例えばぼくは素人だ。素人は刺激の強いものに反応する、と云う感覚はわかる。
でも、オリンピックの真央の演技がすごいものに見えて、ヨナ・キムの演技が平凡で「普通」なものに見えたのなら、それはそう見える自分の目が鈍摩しているだけの話だ。シンプルに「『真央ちゃん』はすごいことをいっしょうけんめいにやっているのに、ヨナ・キムはいつものことをそのままやっているだけ。でも結果はヨナ・キムの勝ち」と云うことだとしたら、もちろんすごいのはキムさんのほう、と云うことになる。当たり前の話。そう思えないのだとしたら、自分自身のなかにある予断をまず疑うべき(いや、気持ちはわかるんだけどね)。

素人には最終的には、技術面のすごさはわからない。個人的には、今回のオリンピックでの真央の演技がどれだけすごいことなのか、と云うことをほんとうの意味で理解できるのは、報道側の場所にいる人間では荒川静香と、あとはひょっとすると本田武史ぐらいなんじゃないか、と思う。
そこにあれこれ素人が邪推をかますのは、いくらなんでも夜郎自大だろう。

新採点にはおかしい部分はあると思うし、そこに政治的なものが含まれているかもしれない。ジェーニャが今回身をもって提示した問題点も、そこには確かにあるだろう。
マスメディアの軽佻浮薄な報道姿勢に対しての違和感は、ぼくもこっちのエントリこっちのエントリで書いた。
でも、だからと云ってひいきの引き倒しは、その選手を支援する人間のするべきことではない。それはむしろ、自分が応援する選手の努力を貶める行為だ。

相手の選手のすごさを見極める目を持とうとしないのなら、そこにある美点に敬意が払えないのなら、それは自分の応援する選手の演技の価値をほんとうに認めようとする姿勢がないのとおなじことだ。
そんな連中がファンでござい、なんて、滑稽を超えて醜悪だと思う。