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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

バンクーバーオリンピック フィギュアスケート男子シングル

ツァーリの復帰によって、期せずしてクァッドをめぐるイデオロギー闘争的な趣を帯びたオリンピックではあったけれど、結果としてはチャンプがレジェンドを下したかたち。今回魔物に呑まれたのはブライアンだった、と云うことでもあった。

いや、でもアドリアン“ネクサス・シックス”シュルタイスのフリーは面白かったなぁ。

いずれ勝った以上、エヴァンの選択はだれにもなじることはできないわけで。クァッドを飛ばない(飛べないわけじゃないので)選択をした点で、このディフェンディング・チャンプにはほかのだれとも違った種類の重圧があったはずだ、と思う。
そしてそのなかで、この大舞台で完璧、と云う形容にふさわしい演技。個人的な好みは措いて、これはすなおに讃えたい、と思う。

で、当のレジェンドは、じつはやっぱりベストには程遠い状態だったんだろうなぁ、と思う。クァッドはともかく、演技全体としては本来のジェーニャが存分に発揮されたもの、とはとうてい云えないものだった、と思う(そしてそれは、そこまでしか持ってくることができなかった、と云うことだと感じる)。

いくつものことができる選手よりも、できることを存分に発揮できる選手が勝つ。いまのフィギュアスケートと云う競技は、局面としてはそう云う場所にあるんだろうな、と感じる。それは、トマシュが19位にとどまった、と云う現実の裏付けでもあって。

ミスはあったし、絶対的な完成度は高いとは云えないかもしれないけど、大輔は見事だった。ここでの(そしてこの状況での)世界3位は絶賛に値する。ステップは今期のどの試合よりも切れていたし、喜びから悲しみまでの、表現すべき触れ幅の広いプログラムを、みごとに演じきっていた。へんな話、ぼくの節穴同然の目には、クァッドの転倒までが表現の一部のように見えたほど。
この闘いのなかでの銅メダルは、まさに誇るべきだと思う。そのメダルを、トリノでの8位入賞を「8位に沈んだ」とか形容しやがった勘違いマスメディアに突きつけてやれ。
おめでとう、大輔!

今季オリンピックでシングルに出場する6選手のうち、小塚くんのプログラムの抽象度は真央と並んで飛び抜けて高い。抽象度の高い演技、と云うのは観る側にはとっつきづらくて最初は難解だけれど、音楽と演技がきっちりとシンクロすれば、それはシアトリカルなプログラムを一段超える表現にたどり着く。
そして小塚くんは、今回の大会でその領域まで手が届いた、と感じた。あなたはまだ先がある。さらに磨きをかけられるシーズも、まだまだ持っている。

ここではうつけだのなんだの、謗ってるような書き方をすることが多いけれど。ぼくは織田くんの繊細さも、そのためにトラブルを引き起こしてしまう側面も、理解しているつもり。だからここでこの曲を、ぼくのいちばん好きなヴァージョンで貼り付けておく。

さて、あとは女子シングル。大会の傾向があるとすればキムさんに追い風、みたいにも感じるけど、やってみなけりゃわからない。