Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

横取り

こっちのエントリを書いたときに把握してはいて、触れようかどうか考えていたんだけど。オフィス・マサル・エモトの関連団体が主催で、“水と平和”グローバル・フォーラム 2010 びわ湖と云うのが開催されるらしい(リンク先は魚拓)。

江本勝氏についてはこちらで触れたみたいに、琵琶湖を材料にこんなお祭りを開いたりしてたわけだけれど。 で、こんな話になる。

悪臭が漂っていたこの湖において、私は1999年7月25日(マヤ暦の時間を外した日)に、早朝より「ありがとうびわ湖」のセレモニーを行いました。
その結果、例年では300件以上あった悪臭に対する苦情電話が、その年は1件もなかった、という奇跡的な結果を得るに至っています。

苦情電話の件数についてはなにをソースにした数字なのかはわからないけれど(彼のオフィスで電話を受け付けていたわけではないだろうし)、当然ながらセレモニーと実際の水質のあいだには呪術的な因果関係しかない。仮に減少したとしてもそれは自治体と周辺の水道局なんかと地域住民の努力の結果であって(琵琶湖の水質に関してはここ数年、総体としては行きつ戻りつ、と云うのが実情みたいだけれど)、それが自分たちのお祈りの成果だ、と主張するのは控えめに云って他人の努力の成果を横取りする行為だと思う。

引用はしないけれど上記の文中に、自分の水関連の言説が神の啓示によるものである、と云うようなことを示唆する部分が3か所ある。世界を指導する立場にある、と云う自覚を述べた部分もある。
まぁ、根本的にそう云う主張なんだったらそれはそれでかまわない、とも云える。許容するか、同意するかと云うのはもちろん別だけど、なにしろ伝道師、らしいし(伝道師、と云う用語をキリスト教以外で用いていいのか、と云うのも気になるけれど、まぁ比喩的な用法なのだろう。彼の説く道に教義があるとすれば、比喩と実態を分別するべからず、というのが主要なドグマのひとつになるんだろうなぁ、みたいには思う)。

ただし、だとすればなおさら、教育の現場における彼の言説の使用は排斥されるべきだ、と云うことになるんじゃないか(どうも残念なことに、使用例はいまだに後を絶たない様子だし)。
まぁそれはそれとして、演者のラインナップを見れば、現時点で江本氏の言説がどのあたりに受け入れられているのか(利用価値があると判断されているのか)がおおむね見通せるのかな、とか思う。大本と世界救世教天台宗が相乗りしているみたいに見えるので、だいじょうぶなのかな、みたいに感じたりもするけど。よけいなお世話か。