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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

死体が積み上がる

ある意味では、3か月ほど前に書いたホメオパスさんご用心と云うエントリの内容とも関わってくるんだけど。西日本新聞乳児治療させず死なす 生後7ヵ月 殺人容疑で両親逮捕 福岡県警と云う記事を読んだ。

2人の逮捕容疑は、長男嘉彦ちゃんが発育不十分で重いアトピー性皮膚炎などを患っていたのに、法人が提唱する手をかざせば病気が治癒するという「浄霊(じょうれい)」をしただけで、適切な治療を受けさせないまま放置。昨年10月9日夜、自宅で敗血症により死亡させた疑い。

すごく嫌な話だ。

このケースでは信仰が原因なのでまったく事情は同じではないにせよ、ホメオパシーなどの代替医療に従事するひとたちには、自分が同種の事態を引き起こす原因をつくる可能性があると云うことを意識してほしいなぁ、と思う。

適切な医療行為の適用が必要な状態の乳幼児に対して代替医療による対処のみを適用し、その結果として症状の重篤化あるいは最悪の事態に至る、と云う例は、いまのところそれほど問題視されるような件数が報告されているわけではない(潜在的にはどれくらい生じているのかわからないけれど)。
ただ例えばオーストラリアでは、自分の娘の皮膚病に対してホメオパシーのみで対処した結果、死に至らしめたホメオパスがいた(この行為は故殺とみなされ、有罪判決を受けた。kumicitさんのホメオパシーで娘を死なせたホメオパスに判決と云うエントリ参照)。
また、ホメオパシーへの信奉が医療ネグレクトにつながりうるケースの具体的なサンプルが、NATROM先生のホメオパシーと医療ネグレクトと云うエントリで挙げられている。これはわが国での例だ(ちなみに、こちらにとりあげられている言及先のブログ主は、当時通っていたRAHを修了前にやめて、現在は量子場調整なる技法を用いるセラピストとして働いているようだ)。

すこし前のエントリのコメント欄で、lotusさんとおっしゃるホメオパスの方とちょっとだけお話をさせていただいた。lotusさんは症状によっては病院にも行く必要があると云う認識を示しておいでだったので、例えばこの方のクライアントが同種の事態をまねく可能性は相対的に低いんだろうなぁ、とは思う(手遅れ、と云う事態も考えうるけれど)。ただ人によって理解の仕方は違うともおっしゃっていたので、一般に代替医療従事者にlotusさんと同様のスタンスが期待できるわけではない、と云うことでもある。

この宗教法人の顧問弁護士は西日本新聞の取材に対し「(法人は)近代医療を否定しているが、病院を受診をするかは個人の自由で強制はしていない」としている。

信者だった両親は、この言葉を聞いてどのように感じるんだろう。「信じさせる」ことを生業にする団体の関係者が「信じた」ひとたちに向かって、これは口に出してはいけない言葉であるように思う。
同種の事態が今後も起きるようなことがあれば、この宗教法人が責任を問われずにすむことはないだろう。死体が積み上がる、と云うのはそう云うことで、いずれにせよ死体がよみがえることはない。

代替医療に、とりわけ「信じる」と云う部分に軸足を置いていたり、通常医療を否定的に捉えたりする種類の代替医療に従事するかたがたに留意してほしいのはこの部分で。どれほどあなたがその正しさを信じていても、死体を積み上げる行為は許容されない、と云うこと(併せて、通常の医療と違って代替医療行為には、思わしくない結果の責任を問われたときに後ろ盾となるものは存在しない、と云うことも)。
代替医療の意義をいちがいに否定するつもりはないけれど。このような事態に至った場合には、代替医療に従事するかたがたは、自身の善意や献身をみずから踏みにじることになると思うので。

追記: 同じ事件を報じた毎日.jpの殺人容疑:7カ月の長男受診させず 宗教法人職員夫婦逮捕と云う記事には、この両親の談話が掲載されている。

秀雄容疑者は調べに対し「病院に行こうと思ったが判断が遅れ、見殺しにしてしまった」と供述している。邦子容疑者は「自分も母親に同じように育てられており、自然の力で絶対に治ると思った」と話しているという。

自然の力と云う用語は代替医療従事者もよく使うけれど、じっさいにはどんな意味なのだろう。レメディであれ浄霊であれ、ひとがある手段を用いて病からの回復をはかるのは、ある意味その時点で「自然」なことではない、と思うのだけれど。