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Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

「自己責任」と「他者に対する責任」

よしなしごと

ホメオパスでいらっしゃるらしいlotusさんのマスク嫌いになりましたと云うエントリを読んだ。

簡単な予防だからだとは分かっていますが、そんなに必要なんだろうか?

マスクそのものには予防としての意味合いはあまりなくて(だからその意味ではそれほど必要と云うものではなくて)、むしろ感染している人間がさらに感染を広げないために用いるもの、と認識している。インフルエンザはおもに飛沫感染だし、風邪も同様の感染ルートを辿るので。

昨今マスク姿で人前に出る、と云う行動は「インフルエンザに留意しています」と云うことを示すためのジェスチュアとしてのニュアンスがつよくなっていて、なんか「空気を読んでマスクをする」ひとが増えているなぁ、みたいに感じていたりはするので、その辺りに対する不快感は理解できなくもないのだけれど。
ちなみにぼくはいまのところ、外出時にマスクはしていない。幸運にも去年から、インフルエンザにも風邪にも感染していないので(買い置きはしてある)。

以前なら風邪をひいたら他の人にうつしちゃ悪いなと思ってマスクしてましたが、
あんまりうるさいので今年はしませんでした。

要するにいまは他の人にうつしちゃ悪いなとはあまりお考えではないらしい(いや別に皮肉ではなく)。まぁ感染症に罹患した人間がさらにほかの人間に感染を広げるのは「自然」なことではあるし。「自然であること」を重視するホメオパシーの発想(ぼくとしてはこの部分にそもそも詐術が存在するように感じているけれど)からすると、感染源になることは周囲の人間に対して感染症に自然に罹患する機会を与えることとして、ポジティヴに受け止めることが可能なのかもしれない。

インフルエンザの流行で、消毒しろだのなんだのとうるさいなと思っています。
健康でいるためには普段からの生活習慣が大切なのになって。

あぁ、なるほど。自己責任ですか。

生活習慣に気をつけていようとどうだろうと病気にかかるときはかかる。インフルエンザだって命をおびやかすことはある。自然のままでいればどんな病気からでも回復できる、みたいな都合のいい話はないわけで、自然にまかせる対処しかできなかった昔のほうがインフルエンザで亡くなるひとはいまよりずっと多かった。
現時点で医療はもちろん万能ではないけれど、少なくとも患者本人の「自然な」力の及ばない範囲での症状について「自己責任」で放り出すような方向には向かってこなかった。その現状(と成果)が、例えばインフルエンザに対して「自然な対処だけで問題ない」と云ってしまえるような誤解を生んでいるわけではあるけれど。

例えば医療の進歩は、天然痘を撲滅した。これはきわめつけに不自然なことだ。
そしてその不自然さを、不自然さゆえに天然痘を懸念しなくても暮らしていける現状を顧みることなく「自然」を称揚するのは、いろんな意味で決定的にナイーヴであり、無責任だと思う(こちらで書いたようなことでもあるけれど)。

風邪などの小さな病気は、普段の生活で溜まってしまった汚れの浄化のために、
時には必要な事です。風邪をひいたら身体も心も休め、今までの不摂生をすこし反省して、
自分を大切にしようと気がつく必要があるのだと思います。

それができない(できなかった)状況にある多くの人々を見捨てなかったことが現在の医療の基本的な発想をかたちづくり、成果を生んできたのだと思う。
多くのひとが新型インフルエンザに(ホメオパシー的な意味で)「自然に」対処してきたメキシコでは、どれくらいの死者がでたのか、についてはよく知られている。ここではputoriusさんの何故メキシコで新型インフルエンザの犠牲者が増えたのかと云うエントリにリンクしておくことにしよう。この結果に対して、例えばメキシコのホメオパスがなんらかの責任を負った、果たしたと云う話は寡聞にして聞かない。

通常の医療はある医療行為を施すにあたって、客観的にその行為がどの程度効果を期待できるのか、リスクとベネフィットはどんな割合なのか、を考慮する。それは結果に対して責任を負う必要があるからで。
同様の発想はホメオパシーにはない(文字通り「薬にしたくとも」ない)。その根底には、最終的に患者の自己責任と云う結論が準備できる、と云うことがあるのだろうなぁ、みたいに感じることがある。このことは多分、「信じる」ことを重視する発想にもつながってくる。足らん足らんは信心が足らん、なら責任を負う必要はない。ホメオパス側も発想の根源を「信じる」ことに置いているわけだから、そこに内的な矛盾は生じないのだろう。

病気には病気の意味があります。ウイルスには言いたい事があるんですよ。

病気がその意味を充分に表現し、ウィルスが云いたいことを十全に伝えた結果として、患者にどんなことが生じうるか。そのことに施療者として責任を負うスタンスにあれば、このような言葉は口にすることはできないだろう、と思うのだけど、どうだろう。