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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

バンドのケミストリー

シャルル・パナール博士(とお呼びすればいいのか、それともyogorouza_1979さんが適切なのか)のビートルズ神話の真相  リンゴ・スターは凡才だったのか?と云うエントリを読んだ。共感半分異論半分、と云ったところで、ちょっと感じるところがあったので戯言を少し。

はっきり断言するがリンゴ・スターはロック史上稀代の天才ドラマーである!

これ、「天才」と云う形容をどう云う意味で使うかによるので微妙なんだけど、リンゴがまれに見る「すごい」ドラマーである、と云う意見に対してはまったく異論はない。

ぼくはドラムがまったく叩けない。技術の質的な部分がよくわからないので、ある意味、聴いていてもそのドラマーが「うまい」かどうかはよくわからない。いや明らかに「うまくない」ドラマーはわかるけど、うまさそのものがわからないので、判別できるのは「すごい」ドラマーとか「かっこいい」ドラマー、だけ。それも、自分にとって、と云う意味で。これがギターだとへたくそなりにいじるので、うまいかどうか、と云うのがもう少しわかる(うまいけどかっこわるいとか、うまいけどどうでもいい、みたいに感じることもでてくる)。

たぶん技術的にも高水準なんだろうけど、例えばぼくからして中村達也はかっこいいドラマーだし、大坂昌彦はすごいドラマーだ。狭いライヴスポットで、目の前50センチの距離でポンタが叩くのをステージひとつ分聴いたことがあるけれど、感想は「うまいなぁ」じゃなくて「かっちょいいなぁ」だった。
ただ、あたりまえなんだけどバンドの音楽はメンバー同士のアンサンブルで構築される。キース・ムーンはたぶん(たぶんばかりだ)技術的にはそんなにうまくないドラマーなんじゃないかと思うけど、フーで演奏する限りはとてもかっこいいドラマーだった。「うまくてかっこいい」ジョン・エントウィッスルが健在でも、相棒にキースがいないフーのアンサンブルはやっぱり違う。

リンゴのドラミングは、なんて云うか、とても変だ。聴いていると、どうしてそこでそう来る、と云いたくなる部分がたくさんある。変だ、と云う云い方はあんまり褒め言葉に聞こえないだろうけど、言い換えると、とてもとても個性的だ。
ビートルズを4人のアンサンブル、として捉えると、この個性はとても重要だ。と云うか、リンゴの特徴あるプレイがビートルズのつくる音楽のなかでひとつの要素として占める割合は、すごくでかい。

リンゴのドラミングなくしてビートルズのサウンドは成立し得ないからだ。

そう云う意味で、リンゴのドラムがビートルズの音楽にほかにない「ビートルズのにおい」みたいなものを大きく付加している、と云うのはぜったいにあると思う。 化学反応、ケミストリー、と云う言い回しをされたりもするけれど、4人のバンドなら4人分の音がその音楽をかたちづくる。もちろん各メンバーの寄与の割合はさまざまだし、代替の利くメンバーもいたりはするんだろうけど、楽器の演奏がうまい人間が4人集まればそれが名バンド、と云うことにはならない。あたりまえと云えばあたりまえのような気もするけれど、それがバンド、ってもので、よいバンドの演奏はメンバー個々の技倆を超える。フーが音楽をつくるにあたって、作曲だのサウンド・プロダクションだのの仕事の大半はほかの3人(ことにピート)がやっていたんだろうけど、楽しく叩いたり壊したりしてるだけ(だと思う)のキースがいないフーの音楽は別物になってしまった。別物になったから悪い、と云うような単純な話ではないにしろ(例えばロージズのドラムをスティーヴンが叩いていた時代がいいか、マットが叩いていた頃のほうがいいのか、ぼくには一概には云えない)。

その意味で、

ストーンズのサウンドにおいてチャーリー・ワッツはリンゴ程の重要性は感じられずリズム・キーパーに徹している。

と云うのは、評価としてはリンゴに対するひいきの引き倒し、みたいに思える。

ローリング・ストーンズはメンバーのだれひとりとしてうまくない、と云う珍しいバンドで(いやミック・テイラーとかダリル・ジョーンズとかは別にして)、でもバンドとして演奏をはじめたときにはまさにケミストリーが生じる。熱心なファンではないけれどそれは聴くたびに感じるし、ヴードゥー・ラウンジ・ツアーでなまのステージを観たときも感じたし、シャイン・ア・ライトを観にいったときにも痛感した。

チャーリイのドラムはテクニカルではないし、そんなに個性的とも云えないし、そもそもリズムそのものも怪しいときがある。チャーリイ・ワッツを天才ドラマーと云うひとはいないだろう(いるかな? キース・リチャーズを天才ギタリスト、と形容するみたいなニュアンスで)。でも、チャーリイのドラムがないと(あの間とうねりがないと)ストーンズじゃないのだ。その意味で、技術的にどうとか云う部分で替えの利く存在じゃない。

このあたりのことは、ミュージシャンの技術や才能をそのひと単体で把握しようとしてもよくわからない部分だと思う。ミュージシャン個人としてどうか、と云うのと、あるバンドのメンバーとしてどうか、と云うので評価が変わってくる部分だとも思う。リンゴのいないビートルズも、ビートルズのメンバーじゃない(じゃなかった)リンゴも想像しづらいし、それは「もしも」の世界になってしまうけれど。

なんかその意味で、リンゴ・スターと云うドラマーをうまくないドラマーとして切って捨てるのも、天才として称揚するのも、どちらも違うような気がするんだけど。どうかなぁ。