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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

音楽(やその他の芸術)と、その力

前のエントリで書いたことと漠然と関係してくる、と云えばそうなんだけど、C-NET Blogで村上敬亮さんがお書きのありふれたことに驚く〜ユリイカの坂本龍一総特集(後編)と云うエントリを読んで漠然と考えたこと。
ちなみに、これから書くことは村上さんのエントリの主旨とはほとんど関係ない、まぁ戯言と云えば戯言。当該のユリイカも未読のまま。

若いころにYMOがあった世代で、だからもちろんいろいろと影響はされているのだと思うけれど、「散開」以降それぞれのメンバーの足取りをきっちりと追うほど思い入れたわけではなかった。3人とも巨大な存在なので、いろんな音楽に触れるなかで折々にその仕事の片鱗に触れる、と云うことはあるのだけれど(バリガムランを聴いていても細野さんの影がよぎる)、いまそれぞれがなにをしているのか、と云うことに強い関心を払ったりはしてこなかった。

坂本龍一については、ソロアルバムはフォーライフ時代のsweet revengeSMOOCHYの2枚しか持っていない(この2枚は妙に高頻度で聴いた)。ぼくらの世代にとって、だけじゃないかもしれないけれど、坂本教授と云えばアートとしての音楽とポップ・ミュージックの橋渡しを担っていたような存在で、例えば20年以上前には、ロックの場所にいたぼくたちの耳をラヴェルドビュッシーにひきずっていくような位置だったように思う(もちろんぼくやぼくの周辺のごく一部だけにとってそうだった、と云う可能性は高いけど)。そして、その時代の彼自身がつくる音楽に、ぼくはそれほど強い関心を抱かなかった。先に挙げた2枚は、そう云う「音楽芸術のエッジ」としてのニュアンスがどちらかと云うとかなり薄い、商品としての音楽のにおいが濃厚なアルバムだ(そしてそこがたぶん、一時期とは云えぼくが愛聴していた、その理由になるんだと思う)。

ともかくもロックの文脈に連なるポップ・ミュージックが、その時代の音楽の全体像の中でエッジにあることができた、たぶんほとんど最後の時代に、坂本龍一はそれでもポップ・ミュージックの側にいつづけて、そしていまもそこにいる。
たぶんそれは、ポップ・ミュージックが、力を持っていたから。

本来の音楽家としての資質とは別の部分で、坂本龍一には力を希求する方向性を強烈に持っている、と感じることは当時からあった。それはバブル前夜の頃合いに、未来派を標榜するアルバムをつくってみせたりしたときにも感じた。
例えば、現代音楽がどれほど聴かれるか。アートとしての音楽が、どれほどのリーチと影響力を社会に対して持つか。内側においては磨かれ、研ぎ澄まされているであろう彼の「音楽」を、彼はそのままアウトプットすることはないのだろう。彼がぼくの耳まで届けるものは、注意深くパッケージしなおされ、呑みこみやすいように適切な量の不純物を混入された「商品」に思えてしかたがない。
まぁ、こと音楽として考えた場合に、そのこと自体はよしあしを云々するべきような単純な話にはもちろんならないけれど。

彼が政治や、社会や、環境問題について発言するとき、なにかしらの行動を起こすときに感じられる奇妙な安っぽさ、安直さは、そう云う部分と同根に思える。ほんとうのところはわからないにしろ、それは彼自身が社会に向けて力を振るうこと、それそのものを目的にしているように感じられる。
そしてそこには、同様のスタンスをとる芸術家にみられがちな、ある危うさがあるように思えて仕方がない。以前、ボノについて感じたように。

前のエントリで小泉文夫に触れて、ちょっと気になっていま手元に一冊だけある彼の著書、音楽の根源にあるものを拾い読みしてみた。

ところが鯨エスキモーの人たちは、鯨を大勢でもって湾の中へ追い込んでいっておどかしたり何かして、つかまえるものですから、共同作業なのです。でないとごはんが食べられないというわけです。鯨だって、もちろん半年に一匹ぐらい、あるいは一年に一遍だって大丈夫かもしれない。だけど、そのあとはてんでんばらばらの生活なんてのじゃだめなのです。鯨があらわれたときにタイミングを失してしまう。ほんとに鯨が一年に一遍湾の中に入ってきたときに彼らは必ずそれをつかまえることができるように、ふだんから心を合わせて練習してなくちゃいけない。何で? それは音楽で、なのです。歌で、踊りで、拍子をそろえてうたうことによってみんなの気持を整えたり、いっしょに何かの動作をする。そういう練習をしているわけです。
「自然民族による音楽の発展」

芸術は、美しさは、強いものだと思っている。だから、表現が社会と結びつく接点には、ぼくたち受け手の側も注意深くあるべきではないか、と思う。