Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

Loco

近所にTシャツを買いに出かけた。

背中にグアダルーペがプリントされたTシャツを買って帰った。

ぼくはMCに籍を持つ種類のオートバイ乗りで、だからそちらの方面の文化にはそれなりに親和性を持っている。着る服も(もちろんいつもじゃないけれど)そちら方面のカルチュアを背景にしたものを選ぶことは少なくない。まぁあんまり善良とは見られないような格好で、でもこの年齢になるとそう云う格好をしてもあまり軽佻浮薄にはならずに済むのかな、とかも思ったり。

そう云う洋服をつくって全国で展開している(あとVIBESに載ったりとか)洋服屋は、最近まで仙台にみっつほどあった。そのなかでひとつは残念ながら最近やめてしまって(経緯については、なぜかつれあいから聴いた)、いまは老舗としてはふたつだけ。今日買い物をしたのはその片方。で、買い物にあたってそこのボスとすこし話をした。

結局のところぼくのMCやカラーなんかも、その店で扱っているTシャツのモティーフやデザインの発想も、もともとは輸入文化であって、真似と云えば真似で。で、同種のカルチュア、同種のモティーフをベースにおなじような洋服をつくっている店も、日本中にいくつもある。でも、同じようであっても、やっぱり違うのだ。仙台、と云う土地のなかでそう云うカルチュアに属する人間がつくったものは、ほかの土地のものとは。

さっき挙げた老舗のうちもうひとつの店の話もちょっと出た。今日Tシャツを買った店と、そのもうひとつの店では、近いカルチュアに属していてもやっぱりつくるものは違う。違うけれど、それでもやっぱり通じるものはあるらしい。店主曰く、「仙台のショップのデザインは黒と白、なんですねぇ」と卸し先から云われるらしい。

もとは他の土地のもので、云ってみれば輸入文化で。でも、それがこの土地を背景に、この土地のにおいを含みながら育まれていく。日常のなかにあるものだから、それは起源がどこにあっても、この土地のもので。

でも、その輸入文化は、選んだもので。選んだのだったら、選んだ自分自身にとっての、選んだこと自体から生じるその文化へのリスペクトもあって。云ってしまえばそこで売っている洋服は不良の格好なわけだけれど、ヤンキーと違って卒業したりするようなものではない以上、年齢に即したありかたもあって。そうすると、選んだ文化への理解とその角度、と云うものも相応に重要で。

店主はぼくと同年輩で、だから商売としての服の作り方(やっぱり主要なマーケットは若いこたちな訳だし)と、そのなかで作り手として選ぶスタンス、について話をしてくれた。

わかりやすいブランドショップが並ぶ一番町の北半分に対して、ぼくが南側ロコとしての立ち居振る舞いを選びたいと思うのは、やっぱりこう云う考え方をするひとたちの街だから、だったりもするのだった。