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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

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すごく久しぶりにこのカテゴリ。

freedom Legong

freedom Legong

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: インディーズ・メーカー
  • 発売日: 2009/03/04
  • メディア: CD
 

今年の3月ぐらいに発売となったらしい。

演奏者のSMKIと云うのはバリ芸術高校と云うか、バリの音楽・舞踏の専門学校のようなものらしい(録音当時はKOKARと云う名称だったようだ)。要するに、学校の先生と生徒で構成された楽団による演奏。
この録音は2000年4月ぐらいに、監修:細野晴臣、コーディネイト:皆川厚一による一連のバリ・ガムランレコーディングツアーの際に行われたもののようだ(このツアー時に採録されたものとしては、こちらこちらが発売済み)。この2枚の録音場所に当時バトゥブラン(石彫りとバロンダンスで有名な村。ここでぼくもバロンを見た)にあったSMKIを使用して、その際に合わせて録音した、と云うことらしい。

ガムラン、とくにゴン・クビャールやスマル・プグリンガン(とかプレゴンガン)は大人数による複雑なアンサンブルで、録音条件によってそうとう聴こえかたがちがう。ぼくはそんないいセットで音楽を聴いていないしそもそもどちらかと云うと低性能な聴覚の持ち主なのだけれど、なんと云うか録音者がどのような思想のもとに、どのような点を重視して録音に望んだのか、と云うのは聴いていてなんとなくわかる。おおざっぱに言うと山城祥二氏によるビクターの録音は個々の楽器が渾然となった「場の鳴り」みたいなものを重視しているし、キングにおける皆川さん指揮下の録音は個別の楽器の音がもっとクリアで分離がいい、気がする。

で、このアルバムは(機材が共通、と云うこともあってか)はじめに挙げた2枚と音の感触に共通したものを感じる。具体的にどう、とか云う話は難しいけれど、残響の扱いかたとか。どこまでが機材のせいで、どこまでが楽団の演奏や録音場所の音響特性の影響で、どこまでが録音後のサウンド・トリートメントのせいなのか、と云うのはわからないのだけど(このへんクラシックファンのひとたちはもっともっとシビアな領域で見極めて、と云うか聴き極めてるんだろうな)。全体として潤いのある、しっとりとした音色の印象。
で、どうしてこう演奏と関係のなさそうな話を延々と書いているかと云うと、これ、演奏としてはそれほど面白くないのだ。いや、それはけしてこのアルバムや演奏者たちに問題がある、と云うようなことじゃなくて。

ぼくはガムランについては自宅でCDで聴くことをメインとする、一種いびつな鑑賞者だ。本来舞踏も揃ってはじめてまったき姿になるはずのバリガムランから、音楽としての側面を抽出して、そこだけを楽しんでいる。もちろんゴン・クビャール、スマル・プグリンガンには器楽曲もあるけれど、舞曲はほんらい舞踏とあわせてなんぼ、のものなはずで、でもぼくはそこから音楽だけを切り出して聴いている。
そう云うわけで、どうしても音楽的に尖ったものとか、アプローチが興味深いものに惹かれてしまう。そう云う意味では、このアルバムの演奏は全体に洗練されていて、さらにあまり冒険的なアプローチが行われていないので、ぼくなんかにはそれほど楽しめない。
教科書的な演奏、と云うと一般にあんまり褒め言葉としては用いられない。でも、ここでのKOKARの演奏は形容としての「教科書的」ではなく、そもそも歴史的経緯として教科書的標準の存在しないバリ・ガムランにおいてスタンダードを形成すべく設置された機関による、教科書そのもの、なのだ。だから、本来音楽的冒険は介在のしようがない。

ちなみにバリには(SMKIとどう関係するのかわからないけれど)、大学組織としてバリの音楽や舞踏を教えるインドネシア国立芸大、STSIもある。STSIそのものによる演奏は聴いたことがないのだけれど、この大学組織から派生した楽団(サンガル)には、スマラ・ラティマニカサンティのように、どこか冒険的なアプローチを好んで行う部分が仄見える気がするので、そこらあたりなんか対照的で面白い。
ちなみに今般このアルバムが発売になった経緯としては、バリ舞踏を練習するにあたって、習う段階でポピュラーな演目について適切な音源があまりなかった、と云うのもあるらしい。

いや、このアルバム、べつだんだめだとか云ってるわけじゃなくて。へんな緊張感は強いられないし、それほど気迫に満ちた演奏でもデモーニッシュな演奏でもないので、なんと云うか、高水準な演奏をのんびりと、ふつうに聴ける。なので、そう云うものが聴きたい、と云うひとには、きっといい選択肢なんだろうな、みたいに思う。