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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

リテラシーと心情

サイエンスカフェ・ポータルのK_Tachibana さんがお書きになった【イベントレポート】理研ゲノム医科学研究センターシンポジウムと「オーダーメイド医療を考える」シンポジウムをハシゴしてきたと云うエントリの中で、興味深い一節があった。

個人的には,理研ゲノム医科学研究センターシンポジウムでの鎌谷直之さんの話が,
非常に興味深かったです.彼は,遺伝学と統計学が弱体な日本の問題点として,次の
ことを挙げていました.

1)100%でないと「意味がない」と主張する
  (医学,生物学に統計学は要らない)
2)少数例の印象で関連性あり,という結論をすぐ信じる
  (ABO型の血液型と性格)

似非科学科学リテラシーの問題と,紙一重の話ですね.

この両者のロジックは、ご指摘のとおりニセ科学を支持するような言説では非常に頻繁に使われる。典型的には「科学ですべてのことがわかるわけじゃないじゃん → 科学的じゃないからと云って、信じちゃいけないわけじゃないじゃん」みたいに。
これは「科学でわからないことがわかるんだったら科学じゃないじゃん → 科学じゃないのに『科学』を名乗っていたらニセ科学じゃん」みたいに非常にわかりやすく反駁できて、そうするとだいたい「現代科学を絶対視するなんて、この科学教信者め」とか「波動科学は現在のいきづまった科学を超えるものだから」とか云う反論が返ってくる、と云うのがまぁお定まり、と云うかそのへんでだいたい議論をあきらめることになるんだけど。
人間の基本仕様論じゃないけれど、やっぱり人間はそう認識しがち、と云うことなんだろうか。

このへんのことって、おおざっぱにでも「科学」と云うものがどう云うものかあたまに入っていればあまり陥らないですむ種類の堂々巡りのように思う。で、そこを念頭に入れるのって、科学リテラシーの問題と云うほど大仰なものじゃないようにも、思うのだけどなぁ。