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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

ノンフィクションと「ファクト」

doleさん(とお呼びすればいいのか、sapporokoyaさんとお呼びすべきか)の一種の知的活動ではあるのだが、どうもサイエンスとは異質の作業であるらしいと云うエントリを読んでちょっと感じたこと。前のエントリで書いたことともちょっと関わってくるのだけど。

フィクションとノンフィクションの違い、と云うことについてはいろんな切り口で論じることができるんだろうけど、そのひとつは、ノンフィクションとは事実について記述したもの、と云うことだと思う。その意味で、ノンフィクションは原理的にサイエンスの側に立っているはずのもの。そして、フィクションはその原理を持たないがゆえに、時に「真実」へのアプローチが可能になる。

ともかく、トンデモやニセ科学とは違う、でも現場の多くの科学者とは決定的な通訳不可能性のある、自然科学のようで自然科学でないような曖昧な分野、しかしなぜか人文科学者や文化人からは人気がある分野って、実際あるんだよね。

で、人文分野としてそんな思想があっても全然よいのだけど、なぜかこーゆーのに限って、世間では自然科学(理科)として扱われがちなのは、理科教育の面から見て困ったもんだと思う。

まぁ例えばぼくは福岡伸一氏の著書については未読で、a-geminiさんがお書きの評でしか知らなかったりするんだけど。

上に書いたように、それがノンフィクションである(あるいは消極的に「フィクションではない」)と云うスタンスを標榜しているものは、自然科学系だろうと人文科学系だろうと原理としては広義のサイエンスにのっとったものでないとまずい(し、不誠実)だと思う。
で、それを意図的(法的用語で云うところの「悪意」)に混同する、あるいは心裡留保するような言説は、やはりニセ科学にとても近い性格を持つもの、として捉えるべきではないかなぁ。