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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

理想

土曜日の朝にボリビア産のコーヒーを飲んで、その晩にチェ 39歳 別れの手紙を観た。

チェがその理想どおりに行動し、ボリビアでゲリラ戦を指揮して、失敗し、殺される映画。2部作の前篇、チェ 28歳の革命と同様、この映画はその過程を丹念に描く。散文的な三人称を貫く——ある瞬間を除いては。

キューバボリビアの違い。文化、状況、歴史、そしてアメリカの関与。キューバ革命を成功に導いたあらゆる要素が、チェに加担しない。失敗を積み重ね、敗北に突き進む姿に、英雄の面影はない。
変化はひとりではなしえない。あたりまえだけれど。

今年一番の大雪の中を自宅に向かって歩きながら考えたのは、キューバ革命と云うものは(チェも自ら口にしている通り)狂気の産物であり、だとすればそれはあくまでも、その狂気をドライヴし制御しえたフィデルの革命だったのではないか、と云うこと。そこに、チェの貢献がいかに大きかったとしても、本質的には。だとすれば、チェの理想、と云うものの意義はなんだったのか。
すこし、苦い気持ちになる。それでも思ったのは、チェの理想はまだ死んだわけじゃない、と云うこと。考えてみると、ただ甘く青臭いだけに思えるそれは実際問題、案外なしたたかさをもってひとの心にいまでも生きながらえている。

その思想に全面的に与するものでは、それはもちろんないにしても。このことに思い至ったことが、なんと云うか、いくらかでも救いに似たものを感じさせてくれたのだった。