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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

なくならないかもしれないけど

michiakiさんのニセ科学はなくなんないよ〜と云うエントリを読んだ。

それは何故か? ニセ科学批判者のニセ科学に対するアプローチが間違っているからです。

このへん微妙だなぁ、とか思うんだけど。

ぼくなんかニセ科学がなくせるとか、なくなるとか思ってないし。信じるひとがいなくなればいいなぁ、とは思っていて、そのあたりの角度から批判はするけど。このへん、批判をするひとによって違ってくる部分ではもちろんあるんだろうけど、批判によってニセ科学の発生を抑え込める、みたいに考えてるひとってあんまりいないんじゃないかなぁ。

おそらく多くのニセ科学批判者も、次のような行為をしていることと思う。

  • 初詣に行く。
  • 葬式に行く。
  • 科学の実験に際し「うまくいきますように」と祈る。
  • ダイエット中なのにお菓子を食べてしまう。

どれも科学じゃないしニセ科学でもないよね。そりゃダイエット中なのにお菓子を食べてしまうのは科学的にはまちがいかもしれないけど(いや、一定のお菓子は食べてもいいペースでダイエットをしてるのかも)、なんかニセ科学を信じるとそうなるとか、そんな話じゃないでしょ。単なる理屈と欲望の相克。

「あなただってもし知り合いが亡くなったら葬式に行くんじゃないですか? それって、科学的な行為なんですか?」とホメオパシー実践者に問われたら、ニセ科学批判者はどう申し開きをするのだろう?

「べつに科学的でない行為もしますよ。にんげんだもの」とか答えるんじゃないかなぁ。宗教を持つニセ科学批判者だってべつにふつうにいらっしゃるし。ひょっとすると、「ところでホメオパシーを実践されている方は科学的な行為はされないんですか? それでよく暮らしていけますよね」とか問い返すかも(こう云うのこのへんで書いたなぁ)。

「「ホメオパシーは科学的ではない」みたいなやりかたは、説得力に欠ける。「あなた、だまされていますよ」なら解るのだけど、それならわざわざ科学的説明を持ち出す必要もないわけで。

どうだろうなぁ。ホメオパシーは科学的な根拠があるから信じる、と云うひとには科学的説明を持ち出すのも有効なんじゃないか、と思うんだけど。いやそりゃ科学的だろうとそうでなかろうと信じる、というひとに対しては科学的説明を持ち出すのは有効じゃないかもしれないけど、だったらべつの説明を持ち出すなりするし、それ以前に喫緊の事態でもないかぎり「信じる」のは勝手だし。

人間ハ論理ニテ動クニ非ズ。

このあたりぼくなんかがニセ科学についてなにか書くときには前提に置いている部分だし、すくなくともニセ科学に継続的にコミットしている論者でそこに目配りのないひとはあんまり見たことがないけどなぁ。そう云うひとがいたら教えてほしいくらい。

とか云う辺りで、最初の引用部分に戻って。

それは何故か? ニセ科学批判者のニセ科学に対するアプローチが間違っているからです。

ぜひ正しいアプローチをご教示願いたいです。実践していただけるとより喜ばしいです。