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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

伝えない

あいざわX+さんの感謝の言葉は……。と云うエントリを読んだ。まぁ日々同傾向の言説はネットに投げ込まれていて、とりたててものめずらしい、と云うものではないのだけれど、少し考えてしまった。

感謝の言葉は、電化製品の電磁波に対してバリアの働きをするのでしょうか?

江本勝氏の『水の結晶』関係の本のお写真を見ると、
『ありがとう』などの感謝の言葉を聞かせた水とそうではない水を電化製品(携帯電話・パソコン・テレビ・電子レンジ……)に近づかせてみて、結晶の出方を調べるというものがありました。
感謝の言葉を聞かせた水の結晶は、結晶を保っていました。しかし、聞かせなかった方は、結晶が崩れているようです。
ということは、電化製品で何かする時は、『感謝の言葉』を唱えた方が良いことになります。

その『感謝の言葉』はいったい、だれに向けられたものなのだろう。電化製品?

いやまぁ、電化製品に感謝してもかまわない。ぼくたちの暮らしを便利にしてくれているものだし(ぼくだったらその電化製品の開発や生産に携わったひとに感謝すると思うけど)。でも、感謝してないよね?

あいざわX+さんの『感謝の言葉』は電磁波を防ぐための方便であって、だれかに感謝の思いを伝えるための言葉じゃない。これじゃ、あいざわX+さんに『ありがとう』などの感謝の言葉をかけられたら、まず「このひとはぼくに感謝の言葉をかけることによってどんな利益を得ようとしてるんだろう」と考えるべきだ、と云うことになってしまわないかな。
と云うかそもそも携帯電話から電磁波が出なくなったら使い物にならないと思うのだけど。

もし、愚痴・不平・不満・怒りの類を言いながら、あるいはそういった感情を抱きながら電化製品を使ったら……。!!想像すると分かると思いますが、たぶん病気になりますよね。
だって、『水の結晶』が崩れているのですもの、体内の水分の結晶がどうにかなっているということですよね。

何度か書いてるけど、また書く。体内の水分が結晶になったら、たぶん凍死します。病気になる、どころじゃなくて。水の結晶は氷なので。
このへん、たぶん想像しなくてもわかると思うんだけど、どうかな。

で、考えたことと云うのは、たぶん「水からの伝言」をはじめとする江本勝氏の著作を見て(読んで)いいなぁ、と思うひとは、なんかこう云う言説を発しあっているよね、みたいなこと。自分の感性にフィットする心地よさがあれば、こう云う言葉を発すること、受け入れることに抵抗がないんだろうな、みたいに。でもそれって、じつはひとの話を聞いてないよね? 例えばあいざわX+さんのおっしゃることをちょっと真面目に読んだだけで、これだけ「本来伝えたいんだろうな、と思われること」をまるきり裏切るような言葉が使われているんだから。

なんて云うのか、伝えないこと、伝わらないことを前提に言葉を弄している感じ。それって、根本的に言葉を大事にしていない、ってことだよね。
ちょっとNarrさんのホラーとコメディのミックスジュース(α)なんかを思い出したのだった。