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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

脳とバブル(の話ではない)

a-geminiさんの脳科学が世界を救う(2)と云うエントリ経由で、茂木健一郎のリクナビNEXTの「プロ論」への寄稿を読んだ(去年の11月17日付けの文章なんでちょっと古いといえば古いかも)。表題は「生き残りたかったら、バブルを起こせばいいんです」。

茂木さんのこのへんに関係する発言に関しては、日経ビジネスオンラインにおける2009年混沌の先 バブルはひらめき、脳科学で読み解く経済危機と云うインタビュー記事に関連して、TAKESANさんの「対談」と云うエントリのコメント欄でも少しあれこれお話しさせていただいたんだけど、そのへんについてちょっと書いてみる。

先にちょっといさぎよくないエクスキューズ。これからぼくが書くことは経済学についての専門的な知見にもとづいたものなんかじゃもちろんない。あくまで(かつて近い業界で仕事をしていたふつうのサラリーマンとしての)常識レベルの説明、とぼくが考える水準。明白な誤りがあればご指摘ください(こんぐらいならいいか、と云うあたりはお目こぼしください)。まぁひどく単純化して書いているので、学術的な間違いなんてのが生じうるところまでは踏み込んでいないと思うけど。
それでもなんか、ちょっとでも学術っぽいニュアンスのあることをぼくがここで書くのには違和感がある(議論のなかから派生した場合は別にして)。ぼくに違和感があるくらいなんでお読みの方にはもっと違和感をお感じになる方がきっといるはず。そう云うわけで、長ったらしい前置きをすっとばしたい方はこちら

バブルってなにかって云うと、資産価値の実体経済から乖離した上昇、と云うことになるかと思う。あるものに本来の価値を上回る値付けがされて高騰する状況。
で、高い値付けをされた資産は、信用の源泉としての価値も上がる。その資産を担保にして創造される信用も大きくなる(たくさんお金が借りられる)。資本もそこを目指して流入してくる(背景として金利水準が低いと流入が起きやすい。ただ漫然とお金を安定的な金利商品に差し向けていても儲からないから)。信用がどんどん膨れる。お金が廻りだす。

この話で、よくわからない部分がある。じゃあ、実体経済に即した資産価値ってどれくらい? と云うこと。
この場合の値付けってのは、その資産にどれだけの価値を感じているか、と云うことで決まってくるわけじゃない。そこに資本を注ぎ込むことによって将来的にどれだけ儲かるか、と云うことで決まってくる。
で、ここで資本を注ぎ込む側の読みと云うか判断が入ってくるのだけど、これってあくまで相対的なものでしかない、と云うのがポイント。「この資産の価値が今後高く評価される」と云うことを見極めて、先行して投資を行わないと儲けることはできないわけで(いちばん高いところで投資しちゃったら旨味ゼロ)。

どこが妥当な落ち着き先だかわからない状態で資産の値付けが上下を繰り返すのが市場の通常の姿なので、事実上「最終的な落ち着き先」と云うのはない。それでもある一定の条件(外的条件は常時変動してます)のなかでは一定水準に収束していく、と云うのが市場のメカニズム、と云うことになっているので、ちゃんと市場が機能している状態だと通常はものの値段が毎日激しく上下動を繰り返す、と云うことはない。でもこの場合、「この資産に資本を注入すると儲かる(とみんなが思っている)」と云うことと、「この資産は値段が上がっているので担保としての価値が高い(から信用が高い、いっぱいお金が貸せる)」と云うのが一方向に向かって相乗的に動いていて、みんながそう思っているあいだは止まらない。

投資の現場にいるひとにとっては、投資で儲けるのが自分に出資してくれているひとたちに対する義務なので、ひとりひとりが「これってへんだぞ」とか思っても儲かっているうちは止められない。あきらかにおかしな状況になっていても、「現に儲かってるのにそこへの投資を止めること」を説明して、出資者の理解を求めるのは難しいので(今後はここにお金をつぎ込んでも儲からない、だから止める、こっちのほうが儲かる、と云う説明でないと出資者は納得しない。逆に云うとそのへんを読みきって、そのうえで出資者を納得させて行動できれば大儲けできる)。

でも実際、どんなに珍しくてすてきな花を咲かせるチューリップの球根だって、愛好家が支払えるお金は無限じゃない。そのうえほっとくと腐る(投資したお金も溶ける)。土地の価格は結局「その土地で作物を作ったり商売をしたり住宅を建売したりした場合にどれだけ儲かるか」なので、住宅を建てても商売をしても取り戻せないくらいの値段になったら買い手・借り手がいなくなっちゃう(塩漬けになれば、もちろん1円のお金も生まない。銀座の一等地を100円パーキングにしても回収できるお金は知れたもの)。
これが結局「実体経済との乖離」と云うことで。でも結局それも複数のファクターで決まってくる、相対的なものでしかない、と云う側面はどうしても残る、と云うのはわかってもらえると思う。なんらかの要因(金利の引き上げとか)によって「乖離している」とみんなが思って資金回収をはじめるまでバブルは崩壊しないし、崩壊しない限りそれは単なる高止まりでバブルじゃない。

前置き終了。ぜっんぜん面白くもない、単純化しすぎで正確でもないことをながながと書いてきたけれど、これだけの前置きでじつは書きたいことはひとつ。
バブル(に限らず経済的な現象)は、ひとひとりのなかではなく、ひととひとのあいだで起きることだ、と云うこと。個人の脳のなかで起きる現象についてあてはめるのは、だから本質的に不適切だし、そこになんらかのアナロジーを見出すのだったら、そこをちゃんと説明しないと意味がないばかりか、無用な誤解を招く行為だ。

ひらめきも、脳の仕組みからいうとまさにバブルなんです。どういうことかというと、0.1秒くらいの間、神経細胞の活動が一気に上がるんです。そして下がる。ちょうどバブルにおける株価の上昇のようなもの。

ぜんぜん違うよ。だれが値付けしてるの? 自分ひとりで自分のなかのものを値付けしてるんだったら、それはバブルじゃないよね。上がって下がる、ってのが似てるだけじゃん。

クオリア(私たちの感覚を構成する独特の質感のこと)」の概念に気づいたときには、脳の中にひらめきのバブルが起きました。僕は当時、32歳でしたが、このときの盛り上がりはすごかった。「ついにやった。こいつはすごい。これがわかったら、今までの科学なんて目じゃないぞ」と、それはもう、とてつもない高揚だったわけです。そして14年経った今でも、このときの情熱は残っている。

じゃあまだそのバブルは崩壊してない、ってことですね。崩壊しないようならそれはバブルではなくて、単なる資産価値の上昇です。高い価値のものを見つけた、って云うふつうに喜ばしいことで。それとも、実体との乖離がこれから判明して、そのひらめきのバブルが崩壊する、というふうにご自分でお考えになってるのかな。

金融バブルは困るけど、脳の中のバブルは誰も困りませんからね。

そう云うことを云うんだったら、そもそも「バブル」って比喩を使う意味ないじゃん。読むほうが誤解するから避けるべきじゃないかな。茂木さんがこう云う書き方をするとそれをご宣託として受け止めて「そう云うものなんだ」とか理解しちゃう層が世間にはたくさんいるんだから。
脳科学についての誤解を広めるのは茂木さんと茂木さんの言説を放置している脳科学者のみなさんの責任だからまぁいいとしても(よくないけど)、バブルと云うものについての誤解を広めるのはよそに迷惑をかける行為だと思う

で、残りの部分への、ここまでの話とはあんまり関係ないツッコミ(関係ないのはぼくのせいじゃなくて、茂木さんがつながってない話をしているからなんだけど)。

タイガー・ジェット・シンというのは、僕が子どものころに活躍した悪役レスラーです。トレード・マークは頭に巻いたターバンとサーベルで、会場に現れるなり、いきなりサーベルを振り下ろし暴れ出します。レフリーの紹介を待たずに、対戦相手に襲いかかるわけです。予告なしの乱闘によって、場内は大いに盛り上がります。

今、ビジネスの世界で求められている手法はこれなんです。天気の話など、仕事とは関係ない話をダラダラしてから本題に入るのは、もう古い。いきなり核心をついていかないと、これだけのスピード社会、流動化の時代に、チャンスをつかむことはできないんです。自分の中に起きたバブルを一瞬のうちにすばやく察知し、行動に移していかないとダメだということですね。

これじゃまるでタイガー・ジェット・シンの行動がバブル的でなおかつ直感的だ、と云わんばかりだ。こんな云い方じゃ、観客はともかくシンがレフェリーや対戦相手にも事前の諒解なしで唐突な行動を取ってるみたいじゃないか。シンに失礼(いやべつにファンじゃないけど)。

私も『プロフェッショナル 仕事の流儀』のキャスターの話をもらったときはそうでした。もちろんキャスターの経験なんかありませんよ。でも、プロデューサーから話をもらって、2秒で決めました。直感です。

いわゆる「できる人」は、大抵こうやっているんです。例えば、ユーチューブを買収したグーグルのCEOエリック・シュミットは、ユーチューブが抱えていた著作権の問題よりも、このサービスを面白いと思った自分のひらめきを優先しました。「まず買収して、それから手段を考える」ことにしたのです。

茂木さんやシュミットがいわゆる「できる人」であるかどうかの議論は措くとして(いや、そりゃできるひとだとは思いますが。できるの定義にもよるけど)、ことこの例に限定して云えばそのシュミットの行動がはたして正しかったのかどうか、いまの時点ではまだまだ評価できないと思うんだけど。
「これからのビジネスマンは直感を信じて、ひらめきに従って行動すべき」と云う見解はまぁありうるけど、でもそのことについてこんな説明のしかたをすることはない。

正直このひとの、こんな口からでまかせに近い言説がなぜこれだけ受け入れるんだろう、と云う辺りが、ぼくなんかの立ち位置からは議論のポイントになってくるんだろうとか思うんだけど。この記事も、肩書きにはきっちりと「(脳科学者)」と明記してあるからなぁ。