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Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

それはたぶん別の話

疑似科学と戦うと云うエントリを読んだ(プロフィールがない。mouth_of_madnessさんとお呼びすればいいのかな)。ある意味、典型的かつ根本的な誤解が見られるので言及してみる。

叩く方は科学的論拠で説明してくれればいつでも信じるという。しかしこれは嘘である。いや不可能だと僕は思う。

そんなことはない。科学的根拠を備えた説明があれば(そしてそれが認められれば)あっさりと科学のほうが更新されて終わり、になる。そのへん科学はけっこうはっきりしたもので。

世界感が違う者同士が話ているのだ。基本前提が違う者のルールでいくら説明されても納得いく答えなど出る訳が無いのだ。

ここのところ、構造についての大きな誤解があると思う(そして多くのひとが議論において同様の誤解をしているのではないか、とも思うけれど)。

ニセ科学を信じているひとは、そのひとの意識のなかでは「科学」を信じている。その「科学」がニセであることを認めていないだけで(ニセであることを知らないケースもあれば、現在の科学がニセであって信奉しているニセ科学のほうがほんものだ、と考えているケースもある)。いや、訊ねてみるとそのへん理解が混乱していて、「信じたいものを信じてなにが悪い。感性の問題だから筋なんか通ってなくてもいいんだ」みたいに開き直られるパターンもあるけど。
実際のところ、科学を信じずに日常生活を送るのはとても難しい(そのへんはこっちとかで書いた)。科学を信じる、と云うのは好むと好まざるとに関わらずふつうに暮らすうえでのデフォルトのポジションなので。もちろんそれに疑義をはさむこと自体は問題ないけれど、多くの場合それは自分の立ち位置を把握しないままの空論になる。

こうやって考えると、

また一度それを認めると今まで優位に立ち上から目線で蔑み光線の流し目を送っていた自分の足下は壊れ落ち自分が上から目線でビビッと見下されるという事に我慢出来ないのである。そんな怖い状況に陥る位なら頑なに今の状況にしがみついた方が良いと思うのが人間だろう。

と云うあたりが意味不明になる。ニセ科学を批判する側も信じる側もそもそも同じ場所に立っているわけだから(どちらもまぁ「科学を信じて」いるわけだし)、壊れ落ちたところで目線の移動はないわけで。

今の状況では疑似科学を信じるより、叩く方が確実に安全なのだから。まぁあんまり叩きすぎると血液型とか占いを信じる人に嫌われるとは思うけど。

いやまぁあんまり安全ではないすけど。あと血液型とか占いを信じる人に嫌われるのはそれなりに重大な問題です(ぼくだけかも)。

あらゆるモノの意味、価値なんてモノは根拠の無いモノの上に成り立っている可能性が有るのに現状の価値を維持しようと戦っているのである。

まぁふつう、その可能性については10代のどこかで気付いて、そのあとは現状の価値を維持しようと戦うことの意味とかその意義なんかを考えるようになると思うんだけど、どうかな。

物理法則が新発見で壊れたとしても教科書の内容と新製品が出る位で世界が滅びる訳では無いのだ。

これは誤解じゃないかと。あとぼくなんかが云うと口幅ったいけど、

まぁ後々の教科書等で昔は○○と信じられていた。と未来の子供に笑われる可能性は有るけど。

ニュートンは笑われてませんよ? 子供にも、物理学者にも。

全体の流れの世界観は色々と変わっているけどね。しかし意外とその事に気が付いていない。流れに身を任せているから見えていないだけなのよ。

ここで、「どんなふうに変わってるんですか?」とか「なにが見えてるんですか?」とか訊ねても、教えてはいただけないんだろうなぁ(経験上)。こう云う言い方をする以上、ご本人には見えてる、と云うことなんだろうけど。

いや、わかるような気はするんですよ。この方はたぶん、こんなことを云いたいんじゃない。要するに、ご自分のおっしゃりたいことに疑似科学だのを持ち出すのが的外れだ、ってだけ。で、多くの「ニセ科学批判」批判って、こう云うものだよなぁ、とか思う。