Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

「似たもの」と「違うもの」

ココロさんの『五十歩百歩どっちもどっちの似たもの同士』ってな〜んだ?と云うエントリを読んだ。
何度か云っているけれど、多くの場合継続してコミットしている論者によるニセ科学批判は、「信じているひと」ではなく「信じることを正当化する言説」に向けられる(少なくともぼくはたいていの場合はそう)。まぁ、そのサンプルとして。

難しい理屈はよくわかりませんが・・・

この前置きはそれに続く言明に関していっさいの免責をもたらさないんだけど、どこまでそれを理解していらっしゃるのか。まぁそれはそれとして。

「科学が何にも勝る」などと言う者がいれば、
神様が笑っちゃうよ〜なんて思うんだけど、あららっ
神だって科学で証明なんか出来ないじゃ〜んって・・。

まぁ「神を科学で証明できた」みたいなことを云いだすひとがいたら、そのひとの科学はまず間違いなくニセ科学ですね。神様じゃなくて、科学者が笑っちゃうと思う。宗教と科学は別のものだし、領分も違うし。
この辺、NOVTANさんが科学と宗教の区別がつかない人はいい加減どうにかしてくれと云うエントリでお書きの「科学信奉者の基本」と「ニセ科学の基本」で明解に示されているけれど。

「そして、科学者だって、初詣にも行くでしょうに・・・
どうやって、気持ちの折り合いをつけてるんだろうか?

信仰や習俗や伝統は科学と別のものでしょ。そこで気持の折り合いをつけられない、と云うのは、その辺りの分別がついていない、ってことで。
この種の言い回しってありがちなんだけど、どうも単に「自分にその辺の分別がつけられない」ことを世間一般のおとなに対して無反省に敷衍しているだけなんじゃないか、とか思うことがある。

ニセ科学批判みたいな論理は、究極に追及すれば
世界中の宗教の信者と議論を戦わせなければならなく
なるんじゃないの〜?って心配になってしまいます。

科学者に限らずたいていのおとなは、科学と宗教の違いを理解してます。ご心配無用。