Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

ニセ科学フォーラム2008

えぇと、行っていません。土曜日に友人の火葬に臨席して、日曜日はへたばってました。参加申込をしていたわけではないのでどっちにしろ出席はできなかったんだけど。 ネット上にはいくつかレポートが出ています。講演などの内容がある程度網羅的に掲載されているのは、dokodemo173さん(でいいのかな?)のニセ科学フォーラム2008と云うエントリ。このあとは小内亨先生による「ニセ科学健康情報の見方」という講演があったのだが、それはまた次回。と云うことなので、続きもあるのかな。

マスコミを使ったマーケティングや情報戦では、
今のところ批判側が圧倒的に負けている。
人の願望やビジネスという“援護”がある限り、
この形成を逆転させるのは至難の業だと思わざるをえない。

まぁこのあたりはずっとひとつのテーマとして議論のなかで伏流している部分ではあるのだけど、どうしてもマスコミはマスコミなりの損得勘定を優先させるので、そこを超えた行動を期待するのは難しいんですね。

ぼくが見たなかで興味深かったのは、社会学者の小池靖さんのニセ科学フォーラム2008@学習院大学と云うエントリ。いや、興味深い、と云うと違うか。

生活感覚で言うとどう見ても自明なことを、認識論に耽溺することで話をかえってややこしくしたり、オカルト的なものを結果として応援してしまったりするのは、社会科学のほうがむしろ多く見られるような気が私はします。

この辺の感覚って、稲葉振一郎先生が以前人文社会科学系の「トンデモ」「疑似科学」対策と云うエントリでお書きになっていたこととつながってくるのかな。

どうもこの辺、社会学と云うのが学問の諸分野の中ではまだ若くて、結果としていろんな手法を許容してしまう(この手法はだめだ、と云うことがなかなかはっきり判別しづらい)と云うことが関係してくるのかな、みたいにも思う。
まぁ社会科学系を標榜する論者がそのあたり着地点なしのメタ議論に持っていって結果的に話をややこしくしていく、と云うサンプルとしてはmerca論宅氏みたいな例があるわけで(あえてリンクは貼らないけどね)。あれくらいになると、どなたか社会科学系の方が「その手法はだめだ」と指摘してあげたほうが、社会科学全体のためになるんではないか、とか思ったりもするのだけど。