Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

波動商売

前のエントリ黒猫亭さんとちがやまるさん、OSATOさんにいただいたコメントにレスを書いていたら長くなって、しかも少し話がよそのほうに向かってしまった(いや、これはうちのコメント欄ではいつものことか)ので、独立したエントリにしてみる。
以下は現時点での個人的見解だし、有効な反論はいくつもありうる、と思う。と云うか反論募集。

話のそもそもは、江本勝氏の会社が販売している波動測定器が法外な価格だ、と云うこと(この辺はFSMさんがお水様で金儲けと云うエントリでちょっと詳細に触れられている。ところでぼくはHADOと云う綴りを見ると「ヘイドゥー」と発音したくなって仕方がなくなる。どうでもいいけど)。

金儲けと云うのをどう考えるか、商取引に関わる倫理・道徳と云うのをどう捉えるか、と云うのは難しい問題で。「そのことでお金を稼ぐこと」の是非、と云う話になると、携わる個々人の意識レベルではあまり簡単に云えなくなってくる。
きくちさんがよく云うことだけれど、「水からの伝言」とかそこで云う「波動」と云うものは、ニセ科学としても例外的なくらいにそのニセ加減がはっきりとわかるもので、そこに対して「科学」と云う角度から嘘だと指摘できる。そこにつけられている値段がいんちきだ、と云うのがわかる。

ただ、信じてしまえば、そのひとにとってその価格は正当だ、とも云うのも事実で。そして、どんなものにどんな値段をつけるのも、ある意味で問題ない、とも云える。法外な価格が、必ずしも良心に背くもの、とはならない。それは、支払うひとと受け取るひとのあいだで相互承諾が得られれば、その段階では問題のないものなので。
これは、実体がなく、根拠にも曖昧さがあるのに価格がつけられて流通しているものを連想すればわかりやすい。要するに、相場が立つもの。典型的には株価。

株価にはそれなりの根拠も理論もあるけれど、究極的には需給だけで決まる。そして、株価とその推移を解釈するにあたっては数多くのニセ科学的理論が存在する。違うのは、どれがうそでどれがほんとうかわからないこと(わからないから市場が成立する、と云う側面もある)。
ぼくが買った株式が値下がりした。ぼくは大損した。で、ぼくにその株を「値上がりしますよ」と云って勧めた証券会社の社員は売買手数料分儲けた。じゃあぼくは詐欺にあったのか、証券会社の社員は良心を曇らせていたのか、と云うとそう云う話にはならない。このあたりはその株を買うことを決めてお金を出したぼくの自己責任(端的に云って勉強不足)だからで、例えば実は値下がりするだろう、と云う予測を証券会社の社員が持っていたとしても、詐欺ではない(証券会社の社員の良心のありどころ、と云う話をすると微妙になってくるけど)。このあたり、「ニセ科学を信じて自分で損をするのは勝手」と云うロジックにつながってくる。

で、この原則があるので、ぼくには「ニセ科学商品を売って稼いでいる」ことについては、「それが嘘に基づいている」と云う部分を越えて批判することはあまりできない。市場経済である以上、売り手のモラルと価格は必ずしも連動するものではないので。
もちろん、ものに値段をつけて売るにあたっての売り手のモラルは存在する、と思う。でもそれは、レイヤーの違う話になるし、明確な基準のない巨大なグレイゾーンのなかでの話になる。

ぼくの議論は主に、「信じてしまう買い手側」に向けられている。
知っていれば信じてしまうこともないし、お金を払ってしまうこともない。これは株式でも同じ。ただ、江本氏の言説については、その本質を理解することはそんなに難しくない——株式と比較すれば。で、例えばぼくがここで行っている批判は、「専門的知識がなくてもここまではわかる」と云う演習だったりもする(いやこれ、現実問題として知識がないことについての開き直りだったりもするのだけど)。

そう云う意味で、例えばぼくは江本氏の良心を直接取り沙汰しよう、とはあまり思わない。彼の言説と行動(と商売)が完全な善意によるものであることもありうるし、そうでないこともありうると思っている。どちらであろうと、だから許容すべきとか云う話にはならないので(これはここでの議論につながってくる)。逆に云うと、江本氏が自分の波動理論のニセ科学性について完全にわかっていたからと云って、だからより罪深い、と云うことにはならない、とも思う(もちろん、一義的には、だけど)。
ただし、その誠実さについては問われるべき、だと考える(善意であることと不誠実であることは平然と両立し、同一の人物、集団のなかで同居しうる)。

また、商品にその本来の価値と比較して法外な価格をつけて販売することの是非について、問われるべきではない、と思っているわけではもちろんない。また、ものを売るにあたって社会全体の利益に反する販売技法を用いることをよしとしているわけでもない。ただ、多分それは(深く関連しているとしても)通常のニセ科学批判とは少し違ったレイヤーに属すると思うし、別の角度から精査された議論が必要になる、と思う。
ぼく個人としてニセ科学をどちらかと云うと「受け手側の問題」として捉える方向にあるのは、こう云うあたりの発想が背景にある、と云うことでした。要するに、テルミンPremiumと同じ価格で販売していても、だめなものはだめなんです。