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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

「水からの伝言」に求められるもの

関東地区女性校長会で江本勝が講演を行い、7,000冊の「水からの伝言」絵本が発注された件について、前のエントリで取り急ぎ触れた。このエントリからリンクした各サイトでも、この件についての議論が行われている。

「校長会」で行われた講演だから、会のメンバーの誰か(は小中学校の校長であるわけだけど)が「いい話だからみんなに聴かせたい」と思った、と云うような動機だけで催されたとは考えづらい。やはり、なにかしら小中学校の教育の現場において応用可能な示唆がある、と思っての開催だろう(ここで、FSMさんによる「HADO」の記事要約、『教育現場に水のメッセージを』(『Hado』9月号)に再度リンク)。

だとすれば、その示唆と云うのはなんだろう。単純に学校教育の一環として「水を大切にしよう」と教える材料に使える、と云うことではいくらなんでも多分ないだろうから(水は大切だが、文脈が違う。水伝は要するに「水に媚びろ」と教えている)、やはりFSMさんの引用文のなかにある、

良い心から良い言葉が生まれ、言葉が水を変え、世界を良い方向に変えることができるなら、私も、私にできることから、私なりの方法で世界をきれいにしていきたい。

と云うようなことを教えたいのだろう、と云うふうに考えるのが自然だ(ちなみにこの短い引用部分の中だけであきらかな飛躍がひとつ、短絡がふたつ)。で、子供たちが良い言葉を使うようになり、結果良い心を持つようになれば、こう、なんと云うか非常に便利だ、みたいな話なんだろう。

自分の過去のエントリともいろんな方がお書きになっていることとも重複することになるので改めて書かないけれど、この発想の安直さには当然ながらいくつも問題がある。と云うか真剣に考えればこう云う安直な発想にはたどり着かない、みたいにも思うのだけれど、やっぱりそこにはそう云うお手軽さを求める背景が現状として存在するんだろうなぁ、とも思う。接点がないので小中学校の教育の現状と云うのは二次的な情報として聞き及ぶだけなのだけれど、やっぱりそこにはニセ科学にもすがりたくなるような状況があるのだろうなぁ(こちらで触れたような、教師自身が心の平安を求めるような状況が)。 ただ、結果としてそれが良い心につながるのかと云うと、おとなの世界で「言葉の波動の効果」がおもに「投資や負担ゼロで幸運が得られたり健康になれたり美しくなれたり脳を活性化できたりする丸儲けメソッド」として信じられていることから考えてもまぁ疑問だと思う(最近はそう云う言説をここでことこまかに批判することはやっていなかったけれど、このへんとか見てみればその種の発想が依然ひろく流布していることがわかる)。言霊ってのもひどく安っぽく見積もられたもんだ。

何人かのひとが指摘しているけれど、今後しばらくのあいだに関東地方の複数の小中学校で朝礼や道徳の時間に「水伝」訓話が実施されるのは不可避なんだろうな。で、身近にそう云う例を見かけたときの現実的な対処方法としては、亀@渋研Xさんの校長先生たちに「水からの伝言」講演会でお書きになっているようなことがぎりぎり実際に可能(かつ有効)かもしれない辺りなんだろうなぁ、とか思う。