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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

共感覚

Wired Visionの文字を色で、香りを形で感じる人たち:「共感覚」と比喩と云う記事を読んだ。この種の記事を読んでたいがー!とか叫びたくなるひとはぼくだけじゃなくてそこそこいるんだろう、と思うけど(思いたい)、まぁそれはそれとして。

この共感覚、って云うのは、まぁ持っているひとは持っているんだろうな、とか思う。微弱なら気付かないだろうし、記事の最後に載っているテストに準拠すればぼくにもいくらかある、と云うことになるようだし。

まぁなんと云うか、そう云う意味ではへんな云い方だけど、あっても構わないんだろうと思う。多分問題なのは、その共感覚のパターンに違う人間同士で共通点があるかどうか、で。あなたはこの音がまっ黄色に聞こえるって云うけど、ぼくにも薄いレモン色に聞こえるよ、とか。

一般人口で調査した場合に比べて、詩人や芸術家や作家では共感覚が8倍多く見られるが、その理由は「比喩」というものと関係している、とRamachandran氏は語る。

それはどうかなぁ。比喩、と云うのは伝わることがその本質にあるものだし、共感覚者の感じる共感覚のパターンが個別に相違したものなら比喩として示された事柄の意味が伝わることはないわけで。
逆に、その共感覚に一定のパターンがあるようなら、なんとなくそこからクオリア、と云うものの「文芸の言葉に準拠しない」議論が可能になる気がする。ちょっと短絡しすぎかなぁ。