科学、非科学
buyobuyoさんの機序が明らかではないことを全部拒否したら生活できませんよ?と云うエントリを読んだ。まぁ基本線としては同意、と云うか、ここでぼくが(とくに医療に関して)考えて来たことに近い気がする。
機序がわからなくてその現象のメカニズムに関しての理論がはっきりしていない現象でも、科学的に利用できてしまうのである。
とは云えそのはっきりしていない
部分について、「はっきりしてないけど使えるからいいんだよ」としておくのもまたあまり科学的な態度とも云い難いわけで。この辺、感覚的な問題としてはここのコメント欄で技術開発者さんがおっしゃっていたようなことと繋がるようにも思えるし、なんとなくこことここで書いたこととも繋がってくるような。
この辺の話はとりわけ、医療に関して云える話で、buyobuyoさんもその辺りを念頭にお書きのように見受けられる。どこで書いたのか忘れたけれど(多分NATROM先生かmedtoolzさんの見解に触発されたのだと思う)、医療は基本的に待ったなしで有効と判断される行為は躊躇なくなされる必要はあるけれど、その行為を正当なこととして位置づけるためには科学的な理解と根拠は必要になる、みたいな部分はあると思う。
疑似科学を批判する人の中で、時々、疑似科学側の作用機序が明らかでないことを問題の核心みたいに言う人がいるんだけど、それは非常に筋が悪い。
この意味でけっこう大槻教授については、なんと云うか、困ったもんだみたいな捉え方がされることはけっこうあって、まぁそれはそれとして実際にニセ科学問題に継続的にコミットしている論者に作用機序が明らかでないことを問題の核心みたいに言う人
はあまりいない気がする。それってなんと云うか、自ら議論を隘路に向けて突進させるような議論の方法のような気がするし。