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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

見守るもの (「パーム」獣木 野生)

考えてみるともう、シリーズ開始から25年が経過している。そして、最終話のひとつまえとなるエピソードが開幕している。

蜘蛛の紋様 1 (1) (WINGS COMICS パーム 30)

蜘蛛の紋様 1 (1) (WINGS COMICS パーム 30)

  • 作者: 獣木 野生
  • 出版社/メーカー: 新書館
  • 発売日: 2007/08
  • メディア: コミック
 

蜘蛛の紋様 2 (2) (WINGS COMICS パーム 31) 長期にわたって書き続けられているマンガのシリーズは珍しくないけれど、個人的にはこんなふうにつきあっているのはこれひとつだけかも。

要約してみれば「まともな人生から排除されたまともじゃない連中が寄り集まって、まともな家族のふりをしようとするけれどそんなところには到底おさまらないから生じるどたばた騒ぎ」を描いたマンガ、と云えなくもなくて。でもそのまともじゃなさのスケールとか、それゆえに(もうそれは、生き延びるための必然と思えるくらいに暑苦しく)主要登場人物の間に流れる愛情の濃密さとか、(これももう、それなしでは物語が解体してしまうのじゃないかと思われるような必然性を持った)おそろしくひねくれたユーモアとか、が四半世紀にもわたって綴られつづけているのも、なんと云うか。とは云えこの物語が出版し続けられている、と云うことはぼく以外にもその物語を求める読者がそれなりの人数いる、と云うことで、それもそれで凄いことのような気もする。

主要登場人物3人のうちふたりの生い立ちはごく初期(文庫版の1冊目、ナッシング・ハートに全部が収まるくらいの頃)に語られているのに対して、カーターの来歴だけはこれまで物語のなかで折に触れて断片的に登場するだけでそれほどスポットライトを当てられてこなかった。この最新エピソードは、ともかくもこれまでのところはそのカーターの生い立ちを追っている(とは云え第1話はマンガではなくカーターの妹ジョイの手になる小説の体裁を取っていると云う、相当変則的な構成ではあるけれど)。
カーター・コフリン・オーガスは登場人物のなかでもっとも常識的な人物であり(まぁいくらか狂言回し的な立場を持つアンジェラを例外とすると、だけど)、同時にもっとも複雑な性格を持ったキャラクターだ。とは云えそれは残りのふたり、JBとアンディがその生まれと育ちに対して人間離れしたシンプルな人格を保っている、と云う相対的な評価によるもので、世間の基準では充分に変人に分類される(残りのふたりは少々の過酷な環境では破壊されないような強靭な変人性を生まれ持っている、と云う話になると思う。どんなマンガだ)。そしてその彼の人格がどうやって形成されたのか、がいまのところ今シリーズの焦点となっている。

背景となるのは第二次世界大戦のなかで日系人の置かれた境遇、そしてベトナム戦争。おそらくは登場人物のなかで本来もっともふつうの感受性と指向性を持っていた(それゆえに読者の感情移入を許す)キャラクターであるところのカーターの人格が、ある意味極めて「人間らしく」歪んだものになったのか、と云う、その理由が語られる。それはほかのふたりの成長過程と比較すればまだありふれてはいるものの(カーターはそれでもひとのあいだで成長して来ているし、だれひとりみずからの意思で殺してはいない)、ひとひとりを押しつぶすのに充分なだけの悲劇がそこでは展開される。

この物語に続く最終エピソード「TASK」ではJBの、そしておそらくはアンディの死が語られる。そしてそこで、カーターはその死に居合わせ、見守り、そして語り継ぐ役割を割り振られるのだろう、と思う。そこに物語としての結論はないのかもしれないけれど、多分、カーター個人としての結論は描かれるのだろう。そこに辿り着くまでに要する時間があと5年ほどですむのか、それとももっと長い時間が必要なのかは、まぁ分からないけれど。