Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

ニセ科学野

Rauru Blogのultravioletさんの記事、ニセ科学を信じる脳の部位を読んだ。 腹の皮がよじれた。

だいたい今時「脳」を前面に押し出して話をするような輩は、例えば茂木健一郎養老孟司川島隆太も、まずは眉に唾をつけてかかるべきと私は思うちょります。この三人にはどうにも科学者としての良心、つまり「わかっていないことを率直にわかっていないと言う素直さ」が決定的に欠けている、と私には見えます。養老孟司が受けてる理由って、何でもスパスパ言い切るあの歯切れの良さでしょ。それってニセ科学が信じられてしまう理由と全く一緒ぢゃん。ぶーぶー。

このあたりの「歯切れ」の話って云うのを意識したのは、ぼくの場合1年半前の例の「視点・論点」で菊池誠がはっきり云っていたのを聞いてからだったんだと思う(f_iryo1さんによる菊池誠公認の文章起こしはこちら)。ある意味けっこう信頼のおける「見分け方」のひとつかも。

でもなんと云うかこう、ゲーム脳も然りではあるけれど、脳が絡むとなんでまた過剰に神秘的な話にしたがるのだろうなぁ。いや、発話するほうは聞き手に受けるポップな話をしてるだけなんだろうけど(だから要するに、どうして聞き手に容認されやすいんだろうなぁ、と云う話になってくるんだろうけど)。

人間にはやぱし想像力の翼を自由に広げたいという欲求がある。自然科学の良心はそれに待ったをかける。何故かと言うと、想像力が暴走すると根拠の無いことでも信じてろくでもないことになってしまうからです。でもそうやって待ったをかけるのは、やっぱり人間の本性に反するんかなあ。うーむ。

これって待ったをかける場面とかけない場面をちゃんと分別すればすむ話、なんだと基本的には思うのだけど。それくらい見分ける力もまた、人間は持ち合わせているはずのものであって(と信じる)。