Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

野狐禅

ここでの議論とも関係ある内容なので、dlitさんのニセ科学に対する人文系的コミットメントと云うエントリに言及。

まず人文系・理科系と分類することは、問題に対峙することそのものにおいてはそれほど決定的な意味は持たないのだ、と云うのは前提として。

ずいぶん昔の議論になるけれど、「なんで菊池誠のような物理屋が倫理・道徳の問題だの教育の問題だのに口を出すのだ」みたいな主張があったりしたことがあって(多分kikulogを掘れば当該の議論のあるエントリも見つかるのだろうけど、ちょっとパス。多分もう2年とか前の話になると思う)。

でもこれ、とりわけ「水からの伝言」みたいなのを題材にすると、避けて通れない部分ではあって。そこの部分の問題の所在がはっきりしているのに、専門外だからまるでそれが存在しないようにふるまって、問題を例えば「科学から見たにせもの」と云うようなところに限定して論じる、なんて云う器用な主張の仕方はそもそもできない。
でもそれでも自然科学者は自然科学者で。アカデミズムのなかにいればまぁ教育者でもあるわけだから他人事ではないにしても、そのあたりは例えば教育問題については教育学アカデミズムと云うのがあるはずだからそっちのひとのほうが詳しいだろうし、そっちのひとにとっても相当大きな問題のはずだし。「ことば」の問題だとして捉えれば、文学者にとっても問題なはずだし、みたいな部分から出てきた話で。その辺りのひと、なにやってるんでしょうね、どんなふうに思ってるんでしょう、みたいな。

そもそも、各学問にはそれぞれ取り扱える対象がおおよそ決まってます。

結局のところ、もともとはこう云う部分から始まった話だったりする。
言及先エントリでは人文系のアプローチをする場所のひとつとしてここを挙げてくださっているけれど、ぼくのアプローチなんてしょせん素人と云うか野狐禅で、ある程度専門的な知識をお持ちのかたにとっては噴飯もののことも多分たくさん書いている(と思う。指摘されないとわからないのも哀しいところ)。で、この世に人文系のアカデミズムと云うのが存在するのだから、その辺りの方々の知見や思考の成果をできるだけお借りしたい、と云うそれなりに切実な個人的環境についての謂が、ぼくにとっては人文社会科学系のコミットがあまり無いよねえと云うような云い方につながる、と云う、まぁ云ってしまえばそれだけの話だったりもする。
ただ、

あまり無理強いはできないところでしょうしねえ。

と云うのも事実と云うか現実なので、まぁ結局「手伝ってくれい」みたいにわめき散らすところで終わってしまうのだけどね。