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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

「説得する」

こちらのエントリに関連するかたちで、lets_skepticさんから信奉者の説得についてと云うエントリでトラックバックをいただいた。またdlitさんも「ビリーバーは説得できない」についてと云うエントリを挙げてくださっている。同様の話題について、TAKESANさんも説得という事と云うエントリを挙げてらっしゃる。

それぞれの方がそれぞれの立ち位置からおっしゃっているのでエントリの内容は違っているけれど、どの方がお書きのことにも非常に納得できる(こう云うことを書くと身内だの一派だの云いたがる向きがあるようだけど、多分単にそれぞれ同じようなケースを積み重ねたうえで近いことを実感しているからだと思う)。実際にぼくが取っているスタンスは、dlitさんがお書きのことに近いような気がする。

だいたいニセ科学に関するぼくの側からの発話は多くの場合疑義で。それなりに詰めて考えた結果としての、疑義。
なので、最初の段階では、説得する、と云うフェイズにはない。これは、批判の発話の対象とする論者が最低限ぼく自身よりも高い思考能力と充実した常識をお持ちだ、と云うのをわりと前提に置いているのもある(これ、読みようによってはあんまりいい印象を与えない言い方だって云うのはわかっているつもり。ただ、言及先の方のことを莫迦にしてかかることはない)。
で、莫迦にされて終わることもあるし、対話に発展することもある。対話に発展すれば、ある程度の理解を得られることもある。あるけれど、この対話そのものもぼくはあんまりうまくないらしい(もうひと月以上前に書いたエントリなのに、現時点でコメントが100を超えて、しかもこの先どこに話が行くのかもわからないエントリもあるし)。だからなかなか、説得、と云うところまでは到達しない。この辺向き不向きと云うか能力の欠如と云うか、そう云う種類の話なんだろうと思う。

ただ、ひとつあるのは。「ビリーバー(信奉者)は説得できない」と云うのは、多分本質的には批判者側のエクスキューズなんだろう、と云うこと(いや、このエントリもここまでぜんぶぼくの言い訳ですが)。ぼくみたいなスタンスの人間が云うのもなんなんだけど、いろいろ試みて結局うまく説得できなかった経験を多少なりとも積み重ねて、かりそめにも到達する実感、と云うか。なんと云うか、「ビリーバー(信奉者)は説得できない」とでも考えないとどこにも救いのないような体験を感じているひとは多いのだと思う。
これはdlitさんがお書きだけれど、相手をビリーバーだと認識して切り捨てることは誰もしないのではないか(ぼくの場合、ぼくのスタイルでの言及が有効かどうか、と云うスクリーニングは行うけれど)。で、対話においては、思いつく限りの参考になりそうな論拠を提示して、理解を得られるよう努力する、と云うのが、いちばんよく見られるパターンではないか、と思う。で、そこそこくたくたになって「ビリーバー(信奉者)は説得できない」とかつぶやく、みたいな。

もともときくちさんがこの言葉を口にするのは、mixiにおけるケーススタディでの経験を踏まえてのこと、だと思う(もう3年近く前になるのだなぁ)。なのでそれなりの重みはあるけれど、結局のところこのトピックでも基本的にビリーバーの切り捨ては行ってはいないわけで、要するにそう云うことなんだろう。
lets_skepticさんの懸念もわかる。少なくともぼくは、この言葉を口にすることはない、と思う。口にする資格があるのか、と云う部分はまぁ棚上げしていただいて。