Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

さすがにちょっと

もういわゆる「左のほうの水伝騒動」には距離を置こうと思っていた。ぼくがなにか云う意義はもうないなぁ、みたいに感じたので。
ただ、そんなところでたんぽぽさんの議論が再燃した(16)と云うエントリを読んだ。さすがにちょっと、とか思ったので言及する。

言及先はNarrさんのところで、でNarrさんのところではぼくも愚痴めいたことを書いたりしていたので(エントリを消す、とおっしゃっていた気軽さに甘えていたわけだ)、当然その辺りでのぼくの言動にも関わりのある内容になっている。

ところで、ここに集まっていらっしゃるような、
「にせ科学批判」を継続しているかたたちは、適切な科学知識の普及という、
社会への啓蒙を意識して、ウェブで発言している感じです。

かたたち、とお書きだけど、これはぼく個人を指しているのだろうと思うがどうか(それともたんぽぽさんがご自分に好意的だと認識されている玄倉川さんのことも示しているのだろうか)。ほかに集まっていると云うような印象を与えるほどの回数のコメントを残しているひとが(ブログ主のNarrさんを除けば)いらっしゃるようには見えないのだけれど。
で、ぼく個人と云う話をすれば、社会への啓蒙と云うほどのものは意識していない。啓蒙なんて言葉は嫌いだし柄でもない。基本的に、自分で考えたことを書いているだけだ。

ただ、誰かに言葉を伝えようとしてブログを書いていることは事実だし、その意味ではぼくはここでの自分の発言は公論だと思っている。公論だからすごいとか価値があるとか云うのではまったくなくて、誰かの発言に対して批判的なことを語る場合が多い以上、それは単なる私的な感想ではすまないと思うから。
だから、ぼくなりに注意深く発言しようともするし(それでも根っからのおっちょこちょいのせいで失言も多いけれど)、必要以上に相手を叩くこともまぁ、できるだけ避けようとしている。結局のところ、公論を意識する、見え方を意識する、と云うのはその程度のものだ。

それでも、「ニセ科学批判は善人ぶるためにやっている」「上から目線でいんちきなリテラシを押し付けている」と云う批判は絶えない。これはまぁ仕方がないにしても、結局のところ「そう見える」ことの弊害は、言葉が届かなくなることで。もちろん、誰にでも届かせることのできる言葉なんか操る力は持っていないのだけれど、「届けたい」以上その部分は考えて当たり前で。で、「そう見えない」と云われたら、それはもう力不足を認識して研鑽を続けるだけの話。

で、ぼくはたんぽぽさんにはその辺の意識は薄いんだろうな、とは感じていた。でまぁ、ニセ科学批判ってのはそう云うもんだ、とか思われたら嫌だなぁ、とか感じながら、それでもたんぽぽさんにはたんぽぽさんの動機とやり方があるんだろうなぁ、とか思って納得していた。ぼくが自分のところやたんぽぽさんのところで、たんぽぽさんに好意的ではないと受け取られるような発言をしたのも、それ以降基本的にはたんぽぽさんがお書きのことに対して言及することをやめたのも、要するにそう云うことで。で、そう云う辺りでぼくはたんぽぽさんと違うと思ったし、逆にそう云う部分でぼくは黒猫亭さんに近い。そう云うわけでたんぽぽさんが、

これらのかたたちも、自分たちと、わたしとのあいだに、
「線引き」している雰囲気が、なきにしもあらず、です。

とお感じの「線」は、ぼくからするとここいらあたりにある。で、「線」があることになにか問題があるとは思わない(例えばニセ科学に継続してコミットしていらっしゃるどの論者の方とのあいだにも、ぼくは「線」があると思っている。ただ、基本的には「公の場所で発言する以上公論としての性格を帯びる」と云う意識については、大半の方とはそれほどの差異はないと思っているけれど)。同じじゃない、と云うことははっきりさせておきたいとは思うけれど、これは例えば日頃議論をしていただいている論者の方々に対しても(そこに相違があれば)おなじことだ。

これらのかたたちの中には、アカデミズムに近い人もいますし、
どこのウマのホネかわからない、たんぽぽなんかより、
自分たちのほうが論客として、ずっと格上という自負もあるでしょう。
ディレッタントに反発するプロフェッショナルと、
おなじような感覚になっているのかもしれないです。

さっき書いたようにこれらのかたたちと云うのはぼく個人のことではないかと思うのでぼくについて云うと、ぼくはアカデミズムに近いわけでもないし、論客として、ずっと格上という自負もない。と云うか、繰り返しここでは云っているのだけれど、ここでぼくはどこのウマのホネかわからないpoohがニセ科学について論じる、と云うことの意味を考え続けていて、折に触れて発信している。その意味ではプロフェッショナルではないことをいつも意識しているつもりではある(そう見えないかもしれない。でも、上の引用部分のような印象を、たんぽぽさんはぼくのどの文章を読んで受けたんだろうか)。ただ、ほかのひとの言説に言及する以上、ディレッタントと云う感覚もない。

まぁそれでも、要するにこれはたんぽぽさんのやり方がぼくとは違う、と云う以上のものではない。ただまぁ、どう違うのか、と云う話をあいまいにしてきたのはぼくも悪い。例えば、こう云う部分では明確に違っている。

また、ウェブでいくら上手に議論しても、まず非建設的になると思いますし、
議論を通じた啓蒙自体、ほとんど無理だと思っています。

ぼくはそうは思っていない。この田舎ブログに価値があるとすれば、それはコメント欄にお越しくださる方々との議論にそのほとんどの部分があると思っている。たんぽぽさんとたんぽぽさんのところにいらっしゃるコメンテーターの方々とのあいだの議論が非建設的なものなのかどうか、はぼくは知らない。

あと、ちょっとこれはどうかと思うけど。

わたしは、個人ブログには、そのように社会を動かすほどの
影響力はないと思っていますので、むしろ、興味の合うかたと
お話するという、趣味を意識してサイトを作っています。
よそのブログとの論争なんて、その意味で、みんな「私闘」だと思っています。

正月の時点でたんぽぽさんを支持した方々(これにはぼくも含まれると思っている)は、たんぽぽさんがご自分の議論を「私闘」だと思っていると認識していたとお考えなんだろうか(少なくともぼくは違う)。単にたんぽぽさんに好意的だから、「私闘」に加勢したと認識されているんだろうか。

まぁ、そう云う方もいらっしゃるのかもしれないけれどね(ぼくは違うけど)。