Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

くりかえし語ること

前のエントリで言及した議論に関連して、uumin3さんが付け足しと云うエントリをお書きになっている。

つまり多くの人にとっては水伝の話自身が目的ではないかもしれないということですね。

なので、ぼくはここで(多分)一貫して、そういうひとたちは「『水からの伝言』に仮託していったいなにを云いたいのか、その仮託する先として『水からの伝言』を選んでしまうのはなぜなのか」と云うことを問題にして議論して来ているつもりで(単純にお水さま言説を信じているひとについては、ほとんどなにも云っていないと思う)。このことについては、多分「紋切型」タグを追ってもらうのがいちばん分かりやすいと思う(それでもけっこうな分量があるけれど)。

 水伝に引っかかる人が少なからずいるということに危惧を抱く方々のお考えはかなりわかってきたつもりですが、そのインチキさをいくら熱く語ったとしても、上記構図みたいなものがあるとしたら、それは場合によってはずっと続くモグラ叩きのようなものになってしまうかもしれないなあと思わないでもないです。

モグラ叩きは虚しく見えるかも知れないけれど、それは単なるメタな議論に陥らずに、時には自分に立ち返りながら論じるためにぼく自身選択した手法ではあるので、ご容赦いただくしかない。ぼくがモグラ叩きを続けている間は、少なくとも「水からの伝言」のツールとしての有用性を認めているひとは存在し続けている、と云うことなので。

 一番良さそうに思えるのは、科学が権威として使われ難くなるような教育、つまりその「可謬性」(間違えることもあるということ)とそれを検証できる「自己修正能」があるということをしっかり教えることではないかなと。

ぼくなんかにできることは例えば対抗言論をあげ続けることでしかないし、実際の試みとしては菊池教授や左巻教授、天羽准教授なんかが積極的に行っている講演や出版なんかの活動、黒影さんの推進されていたSFAAの翻訳プロジェクトなんかもある。科学以外の方面からのアプローチについてはふたつ下のエントリからもリンクした各種のマスターピースがある。

ぼくは継続してこの問題について考え続けることで分かったことがいくつもあるし、うちの場合はコメント欄で議論してくださる方々のおかげで思考を強化することも、ロジックを洗練することも継続的に行ってこられた、と思っている。さらにそのなかのいくらかは、ニセ科学と云うものに対する考え方の強化にも貢献できているのではないか、みたいにも思っている。

で、これはけしてuumin3さんがぼくらの考えて来たことをご存じない、と云うことについてどうこう云っているわけではなくて。ある意味ぼくらの考えて来たようなことがuumin3さんのような方にもまだ届いていない、と云うことでもあるし、そう云う意味では例えば「水からの伝言」について何度も語る、と云うことには、そのことについてだれかしらにリアルタイムでフックを投げかける、と云う意味でも意義のないことではない、と云うことだと思うのだ。